頭上の攻防戦?





「……あれ?」

手に触るはずの感触(あの安っぽい合皮の、でも割と気に入っている手触り)が、得られない。赤城は、もう一度胸ポケットを探り、それからズボンのポケット、果ては入れた憶えの無い指定カバンの中にまで手を伸ばす。

「どうしたよ、赤城。何探してんの?」
「定期、がさ。…ないなぁ、やっぱり…」

ごそごそとカバンを探りながら、けれども頭ではどうやら落としたらしいと事態を決定づける。あのパスケースをカバンに入れる習慣なんて自分にはないのだし、だとすれば落としている以外にないのだ。つまり、今カバンの中をかき回すこの行動は全く持って無駄なのだが、人間諦めきれない時だってある。

「あーあ、まだ買ったばっかりだったのにな」
「学校で落としたんだったら職員室とかに届いてんじゃねぇ?」
「…だといいけど」

横の心配半分他人事半分といった感じの友人の言葉に、赤城は気の無い返事をする。学校には、たぶんないだろう。定期を出し入れするのは学校の外でだ。…もちろん、学校の敷地内なら見つかる確率は格段に高まるけれども。
それにしても迂闊だった。定期ももちろんだが、小銭もある程度は入れていたし、何より使い慣れたものをこうして失うのは何だか悔しい。嬉しくないハプニングだ。

「まぁ…ない物は仕方ないよ。ゴネて出てくるわけじゃないし。大人しく帰るかな」
「もしかしたら、かわいい女の子が拾ってくれたりとかなー」
「まったく…そりゃあ君には他人ごとだけど、もうちょっと心配してくれてもいいだろ?」

それに、僕はこれ以上そういう「出会い」は期待していないし。それは、心の中だけで呟く。暢気そうに隣を歩く友人に愛想笑いを返しつつ、いつかの雨の日を思い出した。ちょっと意地っ張りで、でも、笑顔のかわいかったあの子。

「…ん?あれ、ケータイ鳴ってる?赤城のじゃね?」
「え。…あぁ、本当だ。ごめん」

携帯電話の液晶画面には、電話番号は表示されているが誰からのものかは不明だった。どうやら知り合いからのものではないらしい。
もしや、定期を拾ってくれた人だろうか。切れる気配のない携帯電話の通話ボタンを押して、赤城は電話を耳にあてた。

『……もしもし。赤城くんデスカ?』
「?…そうです、けど…」






(だから、何でこうなる)

「あ、赤城くん、来たぁ!」

こっちこっち!と向かいで暢気に手を振るカピバラに、今すぐにもチョップを喰らわせてやりたい。そして、その思いは数十分前から佐伯の中で渦巻いていたのだが。
いかにも優等生といった顔で手を振るはば学生に、佐伯は仏頂面で迎える。…こいつに、あの疲れる演技をする必要はないし、してやる義理もない。
赤城は嬉しそうに応対する彼女に軽く手を振って応えつつ、一切迷わずに、彼女の隣に腰かけた。

「なっ…!」
「なに?どうしたの?佐伯くん」

どうしたの?じゃないだろ!何で赤城がお前の隣に座るんだよ!俺が百歩譲って向かいに座っているのに、何でこいつが堂々と、しかも何の遠慮もなく!
…と、言いたいのを呑み込んで、「…別に」と返せば、赤城は佐伯に向かって爽やかに笑った。

「あれ?もしかして隣に座ってほしかった?」
「…そんなわけないだろ」
「え?佐伯くん、赤城くんに隣に座ってほしかった?席代わってあげようか?」
「だからっ、そんなわけないだろ!お前は話に加わるんじゃありません!話がややこしくなる」

何だ、残念。そんな軽口すら叩く赤城は、余裕の表情を崩さない。その余裕な顔が、尚の事腹立たしい。
劣勢。始まりから既に呑まれかかっている。

「赤城くん、何頼む?私達はもう頼んだんだけどねー」

(元はと言えばこいつが…)

のほほんと赤城にメニューを渡す彼女を、恨めしいような気持ちで睨みつつ(しかし、表面上ポーカーフェイスは崩さず)、佐伯は先ほどまでの経緯を思い出していた。
群がる「ファンだ」とのたまう女子生徒を何とかやり過ごし、割と勇気を出して誘ったというのに、こんな展開はあんまりだ。ちょっと色気を出して、『珊瑚礁』以外で珈琲を飲んでみようか、なんて考えるんじゃなかった。
それを、先に見つけたのは彼女だった。見つけて、ひょいと拾いあげ、数秒後に「あっ、これ赤城くんのだ!」と言ったのだ。
赤城くん、というのは、目の前にいるこの男の事だ。どうして知り合いなのかって?そんなの、説明するのも面倒くさい。そんな事を懇切丁寧に説明するような仲でもない。

言っておくが、仲良く珈琲を飲んで語らうような仲では、ない。断じて、ない。

「…あ、そうだ!忘れないうちに。赤城くん、はいこれ」
「ありがとう。…それにしても、君に拾ってもらえるとは思わなかったな。凄い偶然だね」

彼女の差し出したパスケースを受け取りながら、赤城は柔和な笑みを浮かべる。
この赤城が、何となく彼女に「そういう気」があるような態度を示すのも、佐伯は気に食わない。というか、元々頭のてっぺんから足の先まで何もかも気に食わない。

「…でも、良かったのかな?何だか僕は凄く邪魔してる気がするんだけど?」

ちらりと、赤城が佐伯の方を見る。わかってるなら、さっさと帰るなり予備校でも行ってしまえと思ったが、それは余りにもあからさまだ。

「いや、別に。忙しいのにわざわざ取りに来てもらうのも悪いだろって言ったんだけど。別に、送ったって良かったんだし」

そう、今日ここに「邪魔しに」来られるくらいなら、後日、郵送でも宅配でも送ってやればよかった。もちろん着払いで。
言葉の裏を返せばつまり、「本来なら、お前の定期入れなんぞ知った事ではない」という意味合いを込めての言葉だったのだが。
佐伯としては精いっぱい皮肉を込めたつもりだったが、赤城は、依然いけすかない笑みを崩さない。

「まさか。拾ってもらったんだから、取りにくるに決まってるよ。それに、折角のお誘いだったし」

赤城はにっこりと笑った。…佐伯でなく、彼女に向かって。

「だって、赤城くんとは中々会えないでしょ?だから、折角だから3人でお茶したいなーと思って」

傍から見れば、自分たちはどう見えるのだろうか。ただの友達同士か、それともカップルと、それを邪魔する男一人か。
となると、どちらがその役回りなのだろう。赤城は自分を「邪魔ではないか」と言ったけれども、今の状況だと確実に自分がそうなっている気がする。

(…ったく)

「赤城くんと中々会えない」という言葉に、彼女は何の含みも持たせてはいない。単純に3人の方が楽しいだろうという思い付きでしかないのだ。

「赤城くんは他校の人だから、佐伯くんも変にカッコつける必要ないから、気が楽だと思うし」
「へぇ?彼、学校ではカッコつけてるんだ」
「そうじゃない。カッコつけてなんてない」
「あのねぇ、佐伯くんはプリンスなの。女の子のファンがいっぱいいてね、先生にもいっつも誉められてね…」
「あーあーあー!余計な事を言うんじゃない!このカピバラ!」

彼女にこんな風に言われては、佐伯としてはきっぱりと拒絶する事は出来ない。たぶん、自分の事を気遣ってくれてさえいるのだ…全く見当違いの気遣いであることが哀しいが。
にこにこと自分の事を話している彼女を見ていると、何も言えなくなってしまう。佐伯は渋面のまま、出された珈琲をすする。大して美味くもないが、腹を立てて帰るほどでもない。
赤城じゃなくって、元々俺はこいつに敵わないんだよな。と、佐伯は早々に白旗を上げる事にした。





(わかりやすいなぁ…)

3人で話している間(といっても話しているのは専ら彼女で、自分達はむしろ聞き役だったけれども)、苛立ちを隠し切れていない「羽学のプリンス」に赤城はバレないようにそっと笑った。
自分としては、数少ない他校の友人と話せるのは嬉しいから、ここに来る事はむしろ楽しみだった。もちろん、大事なパスケースを受け取ることが第一の目的ではあったけれども。
会計を済ませ、少し前を歩く彼女の足取りは軽い。「今日は楽しかったねー」と、満足げな笑顔は、単純にかわいいなと思う。
隣でげんなりと溜息をつく佐伯に、赤城は少し距離を詰めた。

「…お疲れ、悪かったね」
「……何が?」
「だって、下校デートだったんだろ?僕なんて、呼ばなきゃよかったのに」

自分が佐伯の立場ならきっとそうしただろう。彼女が何とゴネようとも、巧く言い含める自信が赤城にはある。
でも、それはたぶん佐伯にしてもそうだろう。話した感じでは頭は悪くなさそうだし、そもそも、あの天然お人よしを絵に描いたような彼女が相手なら、子供でも巧く立ち回れそうだ。
それが出来ないのは、きっと。

「爪が甘いなぁ」
「……ウルサイな!」

爪が甘くて、わかりやすくて、…きっとイイヤツ、なんだろうな。

「…なんだよ、ヒトの顔見てにやにやするな。いいんだよ、あいつが楽しかったって言ってるんだからさ」
「うん、君のそういうところ、僕は嫌いじゃない」
「はぁっ!?お前、真顔でそういう事言うなよ、変なヤツ!」
「そうだよ、僕は変なんだ」

どうやら、彼は何か勘違いしているらしい。赤城としては純粋に他校生との友好を深めたいだけなのだが、…まぁ、わざわざそれを知らせてやる必要もない。その方が何かと面白いし。
気付くと、二人の前を歩いていた彼女が近くでじっと自分たちを見ていた。

「…前から思っていたんだけど」
「何?」
「佐伯くんと赤城くんって、仲良しさんだよねぇ」
「なっ…!?」

ぶっ、と、吹き出しそうになったのは赤城だ。何とか抑えこんでいる横で、佐伯が「このカピバラっ、カピバラ!」と、本日何度目かのチョップを彼女に喰らわしていた。(それにしても、女の子にチョップだなんて意外な事をするんだなと思う)

「だ、だってぇ!佐伯くん、楽しそうじゃない!」
「どこをどう見たら、そう見えるんだ!」
「あはは、まぁ、佐伯くんの意見はともかくとして、僕は佐伯くんといるのは楽しいよ?」

そう言ってやると、ぎょっとした目で佐伯が振り向くのがわかった。もちろん、わざとだ。楽しいのは嘘ではないが。

「ぜひ、今後も仲良しさんでいたいと思ってるから、機会があればまた誘ってくれるかな?」
「うん、もちろん!」
「ふざけんな!」

二度と来るなよっ、という佐伯の声と、またねー!と手を振ってくれた彼女に背を向けて赤城は歩いた。





…ダメだ。道々、笑いが抑えられるか自信がない。







全然三角関係じゃ ない…。
雰囲気としては、佐伯主+赤城、みたいな感じになってしまいました…。
勝負的には赤城の一人勝ちです。同じ土俵では戦っていません(笑)苦労している佐伯を面白がっているって感じ。
私の書く赤城はつくづく嫌な奴ですね。(反省しなさい)あ、ちなみに「赤城くんデスカ」と電話したのは佐伯です。嫌々電話してます(笑)

こんなんですが、勝手にしあ様へ!素敵イラストありがとうございました!!

2010/04/21
aika