クリスマス・キャロル <2>


※注意

こちらのお話では
佐伯デイジー→海野あかり
志波デイジー→一ノ瀬さよ
針谷デイジー→蒼井詩穂
氷上デイジー→麓 夏生
赤城デイジー→日下伊織

となっております。






・王子、捕獲される



(…天気、悪いな)

どんよりと曇る冬空を見上げながら、佐伯瑛は校内のカフェテリアの一角で珈琲をすすった。ここは窓が大きくて採光には優れているが、冬は寒いのが難点だなと思う。珈琲は美味くもないが飲めなくはない。
大学内は人も少なく閑散としている。大学自体の休みは明日からだが、実質真面目に授業に出ている学生は少ないのだろう。
それはそうだ、今日は12月24日。クリスマス・イブ。

(…別に、関係ないし)

今頃浮かれているだろう世界中の恋人たちに恨みごとの一つでも言って回りたい気分であったが、それは自分のプライドが許さないのでクリスマスイブなんて知らないフリを決め込むと今日決めた。
大体、この日はロクな思い出がない。去年だって珊瑚礁の事でバタバタしたし、…それから後はもっと大変だったけれど。
冷めた珈琲の入ったカップをテーブルに置き、佐伯はもう一度携帯電話のフラップを開ける。受信メールフォルダを開ける。先日確認済のメールをもう一度開いた。送信者は「海野あかり」。

こういう事があってもおかしくはないと思う。彼女の天然さ加減は今に始まったわけじゃない。普段から忙しい忙しいと口にしている自分にもしかしたら気を使っているのかもしれない。
だけど、高校時代と大きく違うのは今では単なる「友達」ではなく(瑛はその時から既に彼女を単なる友達だとは思っていなかったけれど)、「恋人」なのだ。世間と合わせるつもりはないけれども、それでもこういう日には一緒にいたいと思うのが当然の気持ちじゃないだろうか。少なくとも自分はそうだった。…口では素直に言えた事がないけれど。
彼女から送られてきたメールには、24日は都合が悪く、会えない旨が書かれていた。

(…俺と会う以外の用事って何だよ)

そう思ってからすぐに、どこまでカッコ悪いんだよと、自分にため息が出る。イブの日に会えないからって、こんな所で一人腐っているなんて。
「会いたい」のだと、素直に言えば変わったかもしれないのに。

「やぁ、難しい顔して座ってるね…どうかした?」
「……赤城」

こういう時、一番会いたくない奴だと、佐伯はげんなりした。

「あ、今、僕に会って面倒だなって思ったろ。君ってホントわかりやすいな」
「…そう思うなら向こうに行けよ」
「もしかしてフラれた?それとも24日はほったらかされたのかな?折角のイブなのにね」
「……だからお前とは会いたくなかったんだ」

こうも的確に、一ミリの気遣いもなく触れられたくない話題に斬りこめる奴を佐伯は他に知らない。こいつと伊織が実は高校時代「運命の恋」とやら(本人がそう言うのだからそうなのだろう)をして付き合う事になっただなんて今でも信じられない話だ。
もう一度、飲みたくもない珈琲を一口含む。冷めきった珈琲はただ苦いだけだった。目の前の無神経男はこっちの「あっちへ行け」という空気には全く気が付かず、去りそうにない。

「…何か用かよ。お前だって忙しいんだろ、今日は」
「まぁまぁ、そんな尖るなよ。…君、一人でいるんじゃないかなって思って、誘いにきたんだ」
「………はぁ?」

こいつは何を言ってるんだ?佐伯は戸惑って赤城を見る。赤城の方はおかしな発言だとは気付いていないらしく、さして表情を変えずこっちを見返していた。
まさか、伊織とのデートに俺を連れていくっていうのか?いや、まさかそんな。

「…お前さ、そんな冗談言っても俺は全然慰められないんだけど」
「冗談なんかじゃないよ。ちなみに君を慰めるつもりも僕には全然ない」
「じゃあ、何だよ。からかうっていうなら感じ悪すぎだろ」
「だからさ、真面目に君を誘いに…、というか、正確には僕は頼まれてるんだ」
「頼まれてる?」

一体誰に?と聞こうとしたところへ、ふと校内の空気がざわめいた気がした。甲高い黄色い歓声。佐伯の嫌悪するものの一つだ。
けれども自分の記憶のものと違うのは、聞こえてきた喧騒には男の声も混じっていることだ。さすがの自分も男には持て囃されたことはない。
赤城はそちらの方を眺め、「あれ」と少しだけ驚いた表情をした。

「…本人が来たみたいだ」
「本人って?なぁ、一体、何の話…ん?」

言っている間に、ばたばたとうるさい足音が近づいてくる。騒がしい、けれどもテンポの良い足音。どうやら走っているらしい。

「ちょっとぉ!赤城くん!のんびりしすぎだよ、待ちくたびれて迎えに来たよ!」
「やぁ、ごめん。佐伯くんが中々見つからなくてさ」

彼女はこちらに来るなり赤城にそう叫んだ。やはり走ってきたようで息が上がっている。まるで台風だか嵐だかが飛び込んできたようだった。ピンクのファージャケットにジャラジャラしたアクセサリー、足元は編上げの膝まであるブーツに包まれている。怒鳴りつけられた赤城は、それでも相変わらず顔色一つ変えない。
それにしても何と言うか、凄く派手な格好だ。いや、恰好もそうだけれど、何だろう、立っているだけでやたら目立つ。
いや、そんな事に感心する前に、こいつは誰だ。…何となく見た事はある気がするのだけれど。

「でも、来てみたら広すぎてどこにいるかわかんないしさぁ!走り回っちゃったよ」
「ケータイに連絡してくれればよかったのに」
「あ、そーか。気付かなかった。…とにかく、急いで!ちょっとさ、面倒な事になっちゃって」

そうこうしているうちに、「あ!あそこにいるのそうじゃない!?」などという声が聞こえ、彼女はそれに「げっ!」と年頃の女の子が口にしそうにない声を上げ、慌てたように佐伯の腕をつかんだ。

「ほら!佐伯くんもそんなのんびり座ってないで!カバン持って、走るよ!」
「ちょ、何で俺…!?」
「いーから!ぼさっとしてると追いつかれちゃう!早くして!赤城くんもだよ、外に車待たせてるから!」

言うなり、彼女は佐伯の腕を掴んだまま走り出した。いきなり訳がわからない。なんだよ、これ、新手の誘拐か?と思ったが、そうでない事はわかっていた。
話しているうちに、彼女の正体を何となく思いだしてきたからだ。いつも、うるさく生徒会長に付きまとってた奴。あかりとも仲が良かった。
正直あまり気乗りしないが、このままここで腐っているよりはマシかもしれない。
何より、もう後戻りは出来そうになかった。彼女目当てと思われる煩い「やじ馬」の声が、もう後ろに迫っていたから。

「…あ。夏生ちゃんたち、来たぁ」
「連絡が取れないから心配したぞ」
「お前ら…!?」

大学の裏門に停められていた車から顔をだしたのはまた意外な顔ぶれだった。それぞれ時々大学内で見かけたりするけれども、こうして集まって顔を合わせることは滅多にない。

「伊織?どうしてここにいるの?聞いてないけど」
「えへへ、だって言ってないもんね。一雪くんには内緒だったの」

どうやら、赤城も彼女が車にいたことは知らなかったらしい。しかしのんびり話をしている暇はないらしく、佐伯は足を止めた赤城もろとも後部座席に押し込まれた。
最後に自分たちを迎えに来た夏生が乗り込み、バタンとドアを閉める。乗り込んだ途端、さっきまで澄ました顔をしていた赤城が、にわかに顔色を変える。

「ちょっと待って…何かこの車、見た事ある…!」
「伊織ちゃん、良い車乗ってるよね〜。この人数乗れる車で助かったよー」
「うん、お父さんのお下がりなんだ。これくらいの車に乗ってないと、当たった時に危ないからって」

確かに、これくらいの車なら多少当てられても持ちこたえそうだ。一般女子大生が乗るにはかなり高級感のあるそれは、車内の座席も何となく座り心地が良い。
助手席に座る氷上格は「僕も早くこんな車を運転したいものだな」と感心したように言った。

「氷上くんは残念ながら仮免なので、今回は伊織ちゃんに運転してもらうんだよ」
「へぇ…日下って免許持ってたんだな」
「うん。先月取ったんだぁ」
「…え」

それって大丈夫なのか、と思わず言いそうになったところで、隣の赤城が「伊織!」と運転座席にかぶりついている。普段の赤城からは考えられない狼狽ぶりだ。

「ダメだって、こんなに乗せて運転なんか…!僕が代わりに運転する!」
「何言ってるの?一雪くんはまだ免許持ってないでしょ?大丈夫だよ、私、こう見えても教習所でも優秀だったんだよ?先生にねぇ、いっつも誉められたもん」
「僕が運転した方が幾らかマシだ!」
「出来るわけないじゃない、そんな事。一雪くん、無免許なんだから。弁護士になる前にゼンカモノになっちゃうよ」
「赤城くん、どうしたんだ。いつもの君らしくないじゃないか、落ち着きたまえ」
「氷上くんは知らないからそんな落ち着いていられるんだよ。伊織、一旦降りよう。一旦降りて僕と変わろう、っていうか誰でもいいから変わってもらおう」
「そんな時間ないよ!伊織ちゃん、行っちゃって!」

夏生の一声に、伊織は上機嫌に返事をして、エンジンをふかした。同時に赤城が観念したように後部座席に沈み込む。そのただならぬ空気に、佐伯は思わず彼に声を掛けた。

「…なぁ、ここまでだって来れたんだから大丈夫だろ?心配しすぎだよ、お前」
「……知ってる道だからだろ。僕さ、先月名誉な事に彼女にドライブに誘ってもらって行ってきたんだけどさ」
「へぇ…」
「僕って…本当に運が良いんだなって思ったよ。何事もなく無事に帰って来れて」
「…………マジでか」





「しゅっぱーつ!」と運転手のご機嫌な掛け声と共に、車はゆっくりと滑るように動き始めた。






・フウフのような、フアンのような



「…あ、志波くん。それはもう少し右だよ」
「…この辺りか?」
「うーん、それで、もうちょっと上かなぁ?」
「ここでいいか?」
「…うん!ねぇ、あかりちゃん、どうかな?」
「……えっ?」

名前を呼ばれて顔を上げると、志波と一ノ瀬さよが自分の反応を待つようにじっと見ていた。
…それが、会場内の飾り付けの話だと理解するのに、数秒かかってしまう。気が付けば、壁や柱はふわふわした飾りや、リボンで飾り付けられている。部屋の真ん中には大きめのクリスマスツリー。

「…あ、えっと、うん。いいと思う」
「…じゃあ志波くん、これで終わりだよ。お疲れさま」

さよに声を掛けられて脚立から降りる志波に「ありがとう」と海野あかりも声をかける。彼は気にするなとでも言うように首を軽く振った。
志波のジャケットを持って、さよが彼に駆け寄る。その時に向ける彼の表情はとても優しかった。志波の事を知ってはいたけれど、彼のこんな優しい顔は見たことがない。

「…二人って、まるで夫婦みたいだね。新婚さんみたい」
「えっ!?なっ、そ、そんな事な…!」
「…おい。そこで否定するな」

赤くなって手をぶんぶん振るさよがかわいくて、あかりはつい笑ってしまう。そして、どうしてか少しだけ寂しくなった。…ここにはまだ、彼はいない。
肩にかかるショールを掻き合わせた。さよが貸してくれたものだ。
さよはそんなあかりを見て、心配そうにあかりの顔を覗き込んだ。

「…大丈夫?もしかして疲れちゃった?」
「ううん、違うよ。…ちょっと、心配っていうか」
「心配?」
「勝手に、こんな事しちゃって…。もしかしたら怒られちゃうかなぁって」
「…どうして?だって、佐伯くんのために考えたことなのに」

心底不思議そうに問うさよに、あかりの方がむしろ戸惑ってしまう。それは、そうだ。彼女の言うとおり、なのだけれど。
一人では実行出来そうにないし、そして不安だったから皆に相談した。皆、良い考えだと言ってくれてこうして協力してくれた。自分でも、意外と良い考えじゃないかと思っていた。

「…でも、私よく佐伯くんに言われちゃうんだ。『わかってない』とか『俺の気持ちも考えろ』とか。…私、自分ではわからないんだけど、何だか佐伯くんの事をわかってない事が多いみたい」
「…それは気にする事ないと思うぞ」

何時の間にかさよの隣に来ていた志波がぼそりと呟いた。近くに来ると、やっぱり大きい。
今まで黙っていた彼は、妙に確信めいた顔をしてあかりを見下ろしている。

「そ、そうかな…」
「そうだ。心配しなくてもいい」
「志波くん、どうしてわかるの?」

さよが聞くと、志波は「さぁな?」と言って微かに笑っただけだった。

「…ところで蒼井は?さっきまでいたと思ったが」
「あ、詩穂ちゃんはね、ハリーを迎えに行ったんだよ。今日はバンドのイベントがあって…それが終わってから来ることになってるから」

そこまで言って、さよは、両手をほっぺたに添えてほぉっとため息をつく。

「…それにしてもキレイだったねぇ。私もあんな風になれたらなぁ〜」
「現役モデルさんだもんね。ふふ、夏生ちゃんと言い、私たちの友達って美人さんが多いよね?」
「あ、あかりちゃんだってかわいいよ!今日のドレスだって似合ってるし…!」
「さよちゃんだってかわいいよ?ふわふわの白いドレス、やっぱり花嫁さんみたい」
「だ、だ、だから!違うんだってばっ!!」





だから、どうしてそこで思い切り否定するんだ、とは、志波の心の中だけでむなしく響いた。






・バンドマン、捕獲される



(…ちょっと遅くなっちゃった)

携帯電話で時計を確かめてカバンに放り込む。風は強かった。お陰で歩くたびにロングコートの裾が翻るし(歩き難い)、髪はばさばさだ。
冷たい風が頬を冷やす。けれど体は寒くなかった。早足で歩いているからかもしれない。
目的地の場所は頭に入っている。何度か足を運んだ場所だ。わざわざ見に来たのを言うのは恥ずかしくて黙って見に来て、けれどその度にバレて怒られた。

「Red Croz」の人気はここのところ急激な右肩上がりだ。メジャーデビューこそまだしていないが、インディーズのバンドの中ではたぶん一番注目されている。
恐らく近い将来、日本中の人たちが彼らを知る事になるだろう。それは、とても誇らしいことだ。

大通りから脇に入るとライブハウスが見えてくる。正面ではなく、詩穂は裏に回った。そこには既にたくさんの女の子たちが立っていた。いわゆる「出待ち」というやつだ。
イベント自体はまだ終わっていないはず。…ということは会場に入りきれなかったファンの子達、ということだろう。
その中の一人がこちらを振り返ったような気がして、詩穂は反射的に首に巻いていたショールで顔の半分を覆う。正体が、というよりも、何となく今の自分を見られたくなかった。
こういうイベントでもライブでも、詩穂は終わってからこうして彼を待った事は一度もない。人気がある事は嬉しい、けれど同時に要らぬ心配や嫉妬に取りつかれるのはわかっていたから、敢えてこういう場所に来なかった。

(…どこまで情けないんだろう、私)

ハリーの気持ちを疑った事なんて一度もない。疑う余地など、彼は詩穂には与えない。
揺れるのは、詩穂の方だ。もう絶対に迷わないと決めたはずなのに、何時の間にかまた弱くなって、迷う。今だって、酷い気分だ。
ふと、海野あかりの事を思い浮かべた。他の女の子たちの事も。少しも迷わずに「好き」だと思い続けて、そして、その想いだけで動ける彼女たち。

わかってる。私は、自分に自信がない。

裏口に待つ女の子の数はどんどん増えていく。そしてその分、彼は詩穂から遠ざかる。足に力を入れないと、このまま後ろを向いて引き返してしまいそうだ。
こんなにもたくさん愛される人が、どうして私なんかの事を好きなのか本当にわからない。いつもはふざけてばかりだけど、時々とても真面目に「俺にはお前しかいない」だなんて言うのは都合の良い幻聴じゃないかと思えるほどに。
せめて少しでも釣り合いたくて、モデルの仕事は続ける事にしたのだけど、結果、忙しくなって時間も取れなくて苛々することもあって。

(…だけど、それでもやっぱり私は)

すっぱり潔く身を引けるようなそんな想いじゃない。そんなものならとっくに諦めていた。
想像する。裏口が開いて、ハリーが出てくる。女の子たちは彼に気が付く。歓声が上がって、駆け寄って行く。彼は、例え疲れていてもそれに笑顔で応える――。

(………そんなの)

ふと、歓声があがる。初めの小さなそれは、次は確信を得たかのように大きく、甲高くなった。
詩穂は遠くに見える彼を見る。…想像通りだ、何もかもが。
赤い皮手袋に包まれた手を、詩穂は無意識に握り込む。それから軽く深呼吸して、前に踏み出した。
空気は相変わらず触れたものを凍らせるかのように冷たい。頭は冴えていた。撮影の時の、カメラの前に初めて立つ時の感覚に似ている。

「……すみません、通してもらえますか」
「ちょっとぉ、押さないでよ!皆、順番なんだからね!?」
「…急いでるの」

不満顔の女の子にはかまわず、詩穂は人波をかき分けていく。そのうちに自然に道が出来た。「ねぇ、あれって…!」「私、雑誌で見た事ある…」とあちこちで声が聞こえたけれど、今はどうでもいい。
もう、ショールで顔を隠したりしない。大股で、ずかずかと彼に近づき、前に立った。これじゃあまるで決闘でも申し込むみたいだと、ぼんやり思う。

「…え?あれ、お前…!?」
「…迎えに来たの」

驚いたような顔、そしてそこにじわじわと喜びがにじんでいくのが見える。――それだけで、充分だと思った。
それだけで、私の行動にはちゃんと理由を付けられる。

「…っ!きゃあああ!ちょっと!」
「何アレー!信じらんない!!」

自分でも信じられないくらい少しも怯まなかった。彼の手にしていた、たくさんの差し入れがばたばたと地面に落ちていく。
その音が鳴りやんでから、詩穂はそっと顔を離した。
すぐ近くにあるハリーの顔は真っ赤だった。それが今まで見てきた中で一番間抜けな顔だったから、おかしくなってきて詩穂は笑う。
それから、何もかも取り落とした彼の手を、ぎゅっと掴んだ。

「…走って。もう行かなきゃ」
「……え、い、行くって…ていうか、お、おま…」
「いいから、早く!」





手を取って、走り出す。後ろから悲鳴のような怒号のような爆発的な音が背中に迫ってくるようだった。
でも、少しも怖くはない。握った手が、同じくらい強く握り返してくれたから。






・おんぼろ馬車の着いた先は



(何とか無事生還した…!)

日下伊織の運転する車から降りて、佐伯はその場に崩れ落ちそうになるのを堪え、何とか踏みとどまる。同乗者だった赤城や氷上の様子も見てみたが、大体自分と同じような感じだ。
平気な顔しているのは運転した本人と夏生だけだ。女ってのはやっぱり神経図太く出来てるんだなと、変な事に感心する。

それにしてもここはどこだろう。何かの会場であるらしいのは予想がつくけれど。広い庭園に、洋館のような建物が奥に見える。

「中々タイヘンだったんだよぉ〜?こういうトコってさ、借りるのに意外にオカネかかるし。まぁそこは賞金ファイター夏生ちゃんのお陰でノープロブレムだけどね!」
「全然意味わかんないけど…。こんなところで一体何があるって言うんだよ?」
「そりゃ、クリスマスイブだもん!パーティに決まってるじゃん!佐伯くんはご招待だよ!」

ぽんぽんと馴れ馴れしく肩を叩く夏生は、けれども、ふざけた笑顔を一瞬引っ込めた。

「…あのさ、去年の学校主催のクリスマスパーティ、佐伯くん、来なかったよね?」
「あぁ…うん」

言われて、脳裏によみがえる。ひどく傷ついて、けれども温かい気持ちにもなれた日。良い思い出のような、そうでないような、でも忘れられない日。
けれど、それが何か関係あるのだろうか。

「佐伯くんって、びっくりしちゃうくらいトモダチ少ないけどさ」
「ウルサイな。ほっとけ」
「でも、…でも、皆で騒ぐのも嫌いじゃないと思うんだって、言ってた。…本当はイヤじゃないのに、そういうフリをしてたんじゃないかなって」
「……誰が、そんなこと」
「だからもう一度、あの時みたいなクリスマスパーティが出来たらなぁって。…そんなの聞いたら、協力しないわけにいかないよね」
「…協力って。まさか、お前ら…」

振りかえると、皆それぞれに佐伯を見ている。各々微妙に違いはあるが、概ね笑顔をたたえて。

「海野くんは、君にクリスマスパーティをプレゼントしたかったんだそうだ。相変わらず彼女の考えることは僕の予想を軽々と越えてしまうよ」
「僕は僕で、便乗して楽しもうと思ってさ。何せこっちは3年間一人ぼっちのクリスマスパーティだったからね。むしろ感謝したくらいだ」
「えへへ、人魚姫からのクリスマスプレゼントだよ!佐伯くん」

(…何だよ)

何だよ、このキモチワルイ展開。そう毒舌で応じようとして、けれど、出来なかった。あぁ、キモチワルイのは俺の方だろ。
こんな事で、うっかり泣きそうになるなんて。

「そういうワケだから、早く王子は着替えて人魚姫を迎えに行ってよ!それで、シアワセ一杯なクリスマスイブを過ごしてね!」
「ぅわ、いきなり押すなよ」

背中を押され、よろめきながらも一歩前に出る。…それから、もう一歩自分で踏み出した。

(…サンキュ)

心の中で礼を言って、歩く速度を速めた。今はただ、会いたいと思う。





世界で一番大切な人魚姫に。











HAPPY MERRY CHRISTMAS !!