1、海野あかり



「うあぁん、どうしよう!はぐれちゃったよ…」


押し寄せる人の波に潰されそうになりながらも、あかりは必死に辺りを見回す。けれど、小柄な彼女にはどこをみても人の背中しか見えない。
今日は元旦の次の日。初詣にもたくさんの人が来ている。「はぐれないように」とあれだけ強く言われていたのに、つい出店の飴細工に魅入っていたら見失ってしまった。
早く戻らなければ、怒られてしまう。
それにしても、せっかく綺麗に着付けてきた晴れ着も、この人波に揉まれてぐちゃぐちゃになっている気がする。せっかく勝己が「良くお似合いです」と誉めてくれたというのに。
最近、あまり誉められる事がないから嬉しかったのだ。


「この場合、戻った方がいいのかしら…って、きゃっ!」
「…おっと、悪ぃ!大丈夫か?」
「い、いえ、こちらこそすみま」


ぶつかった方に謝りながらあかりは顔を上げ、そして固まってしまった。
目に飛び込んできたのは、派手な色の服。そしてばさばさと長い髪。自分を見下ろすきつそうな目線。

これは、アレだ。出来ればお近づきになりたくない類の人だ。物語の中に出てくる「悪漢」そのものだ。

あかりの人生で出会った中で、ぶっちぎりの柄の悪さである。
全身の血が、音を立てて下がったような気がした。


「お?何だ?なんか顔色悪いじゃねーか、大丈夫か、ホントに」


(だ、だれかーーーーーーーーーーーー!!!!)





2、若王子貴文



「いやあ、新年早々気が合いますねぇ。お互いに人探しとは」
「…そうですね」


どこか暢気な若王子の言葉に志波は返事を返しつつ、けれども目だけは辺りを注意深く見渡していた。こんな所ではぐれてしまうとは迂闊だった。やっぱりちゃんと手を引いて歩いていればよかったと後悔する。
本来なら今日の初詣は家族全員で来るのが恒例だが、今年は海野の父が風邪をひいて寝込んでいるため、こうしてあかりと二人で来たというわけだ。

そして、早々にこの事態だ。今年の先が思いやられる。

「あの、若王子先生はお連れの方を探さなくてよろしいのですか?」
「いえ?探してますよ?まぁ、海野さんのように保護者が必要というわけでもないですし。…いややっぱり必要かな。余計な誤解をうみそうだから」
「?」
「イイコなんですけどねぇ…ちょっとばかり不器用な子で。見かけによらず、ね」
「あの……先生が探してるのは人間、ですよね?」


おずおずと尋ねる志波に若王子は一瞬口を開け、それから盛大に笑ってしまった。なるほど、自分の言い草だとそんな風に聞こえるのかもしれない。


「まぁ猫でも人間でも、心配なのは変わりません。僕は先生ですから。…それでは志波くん、海野さんを早く見つけてあげて下さいね。…今年もよろしく」
「よろしくお願いします」


挨拶をかわして去っていく若王子は、やはりどこかのんびりしていて志波は不思議だったが、自分は自分の目的を果たさなければいけない。頭を切り替えてまた周囲を見回した。


あの世話のかかる小さな女の子を探さなければ。





3、佐伯瑛、赤城一雪



ああ、面倒くさいと、瑛はここに来て何度目かのため息をつく。正月にこんな所へ皆わざわざ来るのだから、本当にどうかしている。


「まったく君ってば、少しは楽しそうにしたらどうなんだよ。とりあえず家を出たいからどこでもいいから出掛けようなんて話にわざわざ乗った僕の身にもなってくれ」
「だからってどうして初詣なんだよ。こんな疲れそうな所、冗談じゃないね」
「まぁそう言うなよ。いいじゃないか、お正月らしくて。年の始まりに願かけってのもいいだろう?」
「お正月らしい、ね。良く言うよ、神様なんて信じちゃいないくせに」


鼻を鳴らしてそう言ってやれば、赤城は悪びれもせずに「それはそうだけど」と答える。長らく親友ではあるが、こういうところがどうもわからない。
しかし、そういう自分も大して信心深くもないのだから人の事は言えないが。


(…あいつだったら)


こういう所、喜んで来るのだろうなと、海野あかりの姿をぼんやり思いだす。そういう事を、何も疑わずに大切にしていそうだ。
今頃、どうしているのだろう。晴れ着を着て、色々食べ過ぎたりしているのかもしれない。もしかしたら、今日ここに来ているかもしれない。


「なに、ニヤニヤしてるの」
「べ、別にニヤニヤなんてしてないよ!変な風に言うな」
「なんだ、怪しいなぁ……あれ」


赤城が視線を遠くに移したので、瑛もそれに倣ってそちらの方向を向く。何にしても話題が逸れてくれたのはありがたい。
しかし、目をやった方向には特に珍しいものがあるわけでもない。相変わらずたくさんの人と、たくさんの出店で溢れているだけだ。


「…何だよ。何もないじゃないか」
「いや、さっき、すっごく柄の悪そうな奴を見かけたんだ。あんな奴でも初詣なんて来るんだと思って」
「ま、そんな奴でも年始めくらいはカミサマにお願いしたい事があるんだろ。…そういえばお前は何を願うんだよ。信じてないって言うけど」


そう言うと、赤城は笑った。それはいつもするみたいな皮肉気な笑顔ではなく、何か思い出しているようなそんな笑顔だった。


「まぁ、ちょっと。僕なんかに神様が力を貸してくれるとは思わないけど…それでも、僕の力だけじゃどうにもならないって事もあるからさ」
「……ふぅん」


珍しいことを言うものだ。いつもは目に見えるものしか信じない、みたいな事を言っているのに。
自分の力だけじゃどうにもならないこと。瑛にとってはどれもこれもそうだから、神様にだってどれから祈ればいいのかわからない。
それでも、いつも祈るのは決まっていた。あの子に会えますように。海で出会ったあの女の子にもう一度。



……それと、今年はあのボンヤリ娘の事もついでに祈っておいてやることにする。






4、天童壬



「いやしっかし。まさかこんな所で若ちゃんの知り合いに会うとは思わなかったなー」


カラカラと笑う目の前の派手な人の名は、天童壬というらしい。あかりとぶつかった彼は、あかりの顔色の悪さを心配し(しかし実はそれは彼と会ったせいだったのだが)この小さなお茶屋さんに連れて来てくれたのだった。神社の中にあるお店だ。もしかしたら勝己も見つけてくれるかもしれない。
あかりは、初めこそ人生の終わりすら覚悟した程だったが、この天童という人は見かけによらず親切な人だった。確かに見た目は怖いが、話してみると全然そんな感じはしない。


「それにしても、晴れ着。崩れてんぞ、せっかく綺麗に着せてもらったんだろうに」
「え…そんなに?あーあ…」
「あー、この辺直しとけば問題ねぇよ。それにしてもこんな所で迷子になるとはね、早く戻らないとオヤジさんとオフクロさん心配するだろ」
「あ、いえ、両親とは来てません」
「はぁ!?まさか一人で来たのか!?」
「いえ、えーっと…家族。キョウダイと一緒に来たんです」
「…はぁなるほど。兄貴と来たのか。そりゃ心配してるだろうな」
「え?どうしてそう思うんですか?」
「そりゃ、アンタみたいなボンヤリお嬢さんにはしっかりした兄貴が付いてないと危ないだろ?」
「どういう意味ですか、それ!?」


ムキになって言い返すと、天童はまた可笑しそうに声を上げて笑った。むうっと頬を膨らませつつも、あかりは出されたお茶を飲む。温かな緑茶は、冷えた体に滑り落ちるようだった。


「しかし、まぁ…家族の仲が良いってのは良い事だよ。…大事な事だって、思うぜ」
「天童さんは、今日は家族の方たちとは来られなかったんですか?」
「俺がそんなヤツに見えるか?…今日も、無理やり若ちゃんに呼び出されたようなモンだぜ?ホントに余計なお世話だよなー」
「天童さんは、家族の人とは来たくなかったんですか?……そんな事、ないでしょう?」


言ってから、出過ぎた事を言ったとあかりは口を噤んだ。初対面の人に、さすがに失礼な話だ。いくら気さくな人とはいえ、怒らせたかもしれない。
しかし、天童は苦笑いをしてあかりの頭をぽんと撫でただけだった。


「アンタ、ちょっとアイツに似てるよ。…まぁ来たい奴と来られるアンタは、そんな事心配しなくてもいい。…じゃ、俺はそろそろ行くか、若ちゃん、ほったらかすのも悪いし」
「え!で、でもお金…!」
「いいって!ここの勘定は俺が払っておいたからアンタはここでじっとしてろよ。そのうち迎えも気付くだろ。じゃーな」




新年おめでとう!と言い残し、天童は人ごみにまぎれて行ってしまった。





5、志波勝己



少し、陽が傾いた気がする。人の数も、来た時よりは減り、まばらだった。


(あいつ…本当にどこ行ったんだ)


神社の中でまさか滅多な事はないと思うが、それでも見つからなければその分焦燥感も募るというのものだ。
今日は自分も和装だから、そう走り回れるものでもない。さすがに少し疲れて、脇の石段に腰を下ろした。

小さな頃から、俺はいつもこうしてあかりを探している気がする。何せ、迷子になるのは彼女の得意技なのだ。方向感覚もいい加減なくせに好奇心だけは人一倍で、昔からこうしてはぐれてしまうのは良くある事だった。
その度に、心配して、走り回って探して。いつの間にか、それは自分の役目だった。

本当に、自分でも理解しがたいのだが、それが嫌になった事は一度もない。
それどころか、その「役目」があるからこそ、自分は彼女の傍にいられるのだとさえ思う。あいつがどこに行っても、ちゃんと探せる。迎えに行ってやれる。
ちゃんと見つける、探せるとわかっていても、見つけた時の安心感はいつでも言葉に出来ないほどのものだし、そうして預けられる体重も体温の心地よさも自分だけのものだった。

けれど、それももういつまでそうなのかわからない。


(……やめよう)


今は、とにかくあかりを探す事が先だ。つまらない事を、考えている暇はない。
そう思って、立ち上がったその時。ふと目に入った茶屋の軒先に、ずっと探していた姿が見える。向こうも自分に気付いたのか、無邪気な笑顔で嬉しそうに手を振った。


(…ああ)


見つけた時、彼女は暢気に笑っているか、不安で泣いているかどちらかだ。
ただ、彼女がどういう顔をしていたとしても、自分はいつでもほんの一瞬、泣きそうになる。何も知らなかった子供の頃も、そうではない今も。


「…ごめんなさいっ。心配かけてしまって」


あかりは顔の前で手を合わせて頭を下げた。茶屋にいるというのは予想外だ。てっきり道をうろうろしているものだと思っていた。


「…そう思うなら迷子にならないようにしてください。毎回毎回探すこっちの身にもなってください」
「う…ごめんね?だから怒らないで?あ、お団子食べる?ここの美味しいんだよ?」
「…ったく。今日はもう帰らないと。あんまり遅いと心配してるだろうし……団子は土産で買っていく」


そう言えば、あかりは顔を輝かせて頷いた。「怒らないで」とはつまり、敬語で話すなということだ。あかりはいつまでも自分が「家族」なのだと、言い張ってきかない。


「あ!そうだ!お参りまだしてなかったよね!?」
「誰かさんが、お参り前に迷子になったからな」
「だ、だからごめんってば。…よし、じゃあ今から急いでお参りしておみくじひいて、それからお団子を買ってお家に帰ろう!」
「おい、なんか余計なの増えてないか?」
「だって!お正月だもん!おみくじひきたいでしょ?」
「お前がな。……じゃ、行くか。ほら、手」
「え?大丈夫だよ?もうはぐれたりしないし」
「それが信用できないから言ってるんだろ。時間もないし、…これ以上離れるのはごめんだ」
「わ、わかったから、ちょっと待って!引っ張ったらこけちゃう!」


すっかり人のいなくなった道を、二人で歩く。手を引っ張って歩きながら、志波は舌打ちしたい気分だった。距離を保っていなければと思う反面、それを見せつけられると途端に本音が出るだなんて。大丈夫だと言われたのなら、そのまま頷けば良かった話だ。それなのに、こうして無理やり手を引っ張っている。自分の意志の弱さに、腹が立った。
あかりが、何も気付かずにいてくれるのが、せめてもの救いだ。


「ねぇ、勝己は何をお願いするの?」
「無病息災」
「またそれぇ?まぁ大事だけど…たまには違う事をお祈りすればいいのに」
「いいんだ。…願いは、一つしかないんだから」
「もっと背が伸びますようにとか、お菓子がたくさん食べれますようにとか、ないの?」


それはお前のお願いだろ、と苦笑しつつも、志波はゆっくり首を振った。願いはここしばらくずっと変わらない。無病息災というのは、もちろん嘘だ。
あかりに気付かれないように、そっと繋ぐ手に力を込める。





一秒でも長く、君の傍にいられますように。













僕の海の名前
































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