だって好きなんだもん





※デイジーの名前は伊織ちゃんと言います。







「伊織、ごめんね。待った?」
「うぅん、大丈夫。私もさっき来たところだよ」
「そう?じゃあ、行こう?」

慣れた手付きで一雪くん(最近、やっと名前で呼べるようになった)は私の手を取った。お互いに余程の用事がなければ、大学の帰りは一緒に帰るんだ。
時々は一雪くんが私の授業が終わるのを待ってくれていたりして、それは申し訳ないから(本当は嬉しいけれど)先に帰っていいよって言うのだけれど、一雪くんは待ってくれている。
「僕はいつも伊織と一緒にいたいし、ちゃんと会えるってわかってるから待つのは全然苦じゃないんだ」と、一雪くんは顔色一つ変えずに言った。
…すごく嬉しいけれど、ちょっぴり困る。だって学内のカフェテリアで、周りにたくさん人がいても一雪くんはかまわずに言うから。
とにかく、そういう事で一雪くんと私は一緒に帰るのだけど、今日の私はちょっとそわそわしていた。正確には今日だけじゃない、ここ一週間ほど。

(…今日も、見れるかな)

何も知らない一雪くんは、ついこの間冬らしくなったばかりなのに「あー早くあったかくならないかなー」なんて首をすくめていた。
ちらりと一雪くんの方を見上げて「ごめんね」と心の中で謝る。だって、一雪くんには秘密だから。あぁ、そわそわする。

「…ねぇ、聞いてる?」
「…えっ?な、なに?」

一雪くんの声にはっとする。つい、ぼんやりしていた。一雪くんは「歩きながら居眠りなんて、器用な事するね」と呆れたように言う。

「ち、違うよ!ちゃ、ちゃんと聞いてた!」
「じゃあ、さっき僕が言った事、言える?」
「…………えっ…とぉ…」
「ぶー。時間切れです。はい罰ゲーム。何してもらおうかなぁ?」
「ず、ずるい!そんなのずるい!」
「まぁ、それは後でいいとして。本屋に寄りたいんだ。ちょっと見てもいい?」

後でいいって、どうしてこの流れで私が罰ゲームをすることになるんだろう。でも蒸し返すとますますややこしくなりそうだから言わないでおく。
一雪くんは、歩いている道の少し先を指さした。その先には確かに本屋さんがある。この辺りではかなり大きな本屋さんで大学の教科書や参考書も大体ここで揃うから、私もよく利用している。
だけど、その時私はぱっと閃いた。今だ。今しか、チャンスはない。

「…いいよ。一雪くん、何探すの?」
「学校の授業の。あとはまぁ…それに関係したのが見つけられればいいかなって。…だから、ちょっと時間かかるかもしれないけど。ちゃんと家まで送っていくから」
「そんなの、全然気にしないで!」

間髪いれずに、私は返事をした。ちょっと、勢いよすぎて声が大きくなっちゃったかな?…まぁいいや。
大体、本屋に寄らなくったって一雪くんはお家まで送ってくれる。時間がかかるのは気にしないし、むしろその方がいい。
そう、私には願ったり叶ったりの状況。

「…あ、あのね。私もちょっと…探したい本があるんだけど」
「そうなの?じゃあ一緒に探そうか?」
「ううん。私は漫画だから」
「…漫画?そっか。じゃあフロアが違うから一緒には無理か」

そこの本屋さんは、一階が雑誌と漫画。二階が文庫本や新書で、一雪くんが用事のある参考書が置いてあるのは三階になっている。
「一緒に」というのをあまりにもきっぱり(そしてあまりにも早く)断ったせいか、一雪くんはほんの少し眉を潜めた。

「…なんか、嬉しそうだね?僕と離れるのがそんなに楽しみ?」
「えぇっ!?ち、違うよ!そんなわけないよ!え、えっと、漫画買ったらすぐに一雪くんのところに行くから」
「いいよ。わざわざ上がってこなくても。確実に君が漫画買うよりは時間かかると思うし。…そのまま待ってて」

話をしている間に本屋さんに着く。店の中に入る前に私は一瞬だけ視線を移す。…あぁ、ドキドキしてきた。

「じゃあ、また後で。…何かあったら連絡してね」

そう言って上の階へ上がっていく一雪んを手を振りながら見送って、そして、完全に姿が見えなくなった事を確認して、私はくるりと反転する。
小走りに、漫画本になんて目もくれないで、私は店を出た。

(…うわぁい、やったぁ!)

作戦大成功だ。嬉しくって、足取りは軽い。今日は思わぬ幸運の日だ。
本屋さんの真向かいに、どこにでもあるような雑貨屋さんがある。そのお店の前には「年末売りつくし」の垂れ幕がかかった大きなワゴン。
あ、だめだ。目の前にすると顔がにやけてきちゃう。

(…う、うわぁん!やっぱりかわいぃよぉ〜!!)

ワゴンにどっさりと陳列(というか積まれている)されているのを見て、私は心の中で歓声を上げた。





(…なるほど、そういうわけか)

どうも、今日は様子がおかしかった。大学からの帰り、何だかぼーっとしていたり妙にきょろきょろしていたり。正確にはここ一週間ほど?だった気がするけど。僕の記憶が間違いじゃなければ。
…いや、違うよ。本屋であそこまできっぱり「一緒じゃなくていい」と言われた事を気にしているわけではないよ。でも普段の伊織ならあんな風に言わない。何がってうまく言えないけど、とにかく普段とは違う気がした。
それで、どうも気になって、ともかくさっさと用事を済ませようと本を探した。欲しい本の名前も、どこにあるかも大体目星は付いていたからすぐに買えた。10分もかからない。
一瞬、本当に焦ったんだ。だって、一階の、彼女のよく読んでいそうな漫画が置いてあるコーナーにも雑誌のコーナーにも、どこにも姿が見えなかったんだから。

だから伊織の姿を見つけた時には、ほっとしたのと同時に少しだけ腹が立った。だって、僕に黙って行く事ないだろう?
しかも、一人でいる今の方が伊織は凄く楽しそうだ。僕としては、あの子の「彼氏」としてのプライドが傷つくばかりなんだけど。
…あぁ、だけど。

(こんな時までかわいいなんて、反則だ)

伊織が夢中になっているのは、ワゴンに積まれているぬいぐるみ達だった。遠目だからよくわからないけれど、種類も大きさも色も形もさまざまだ。売りつくしと垂れ幕にはあるから、売れ残りが置かれているのだろう。伊織はそれらを次々に手に取って眺めたり、撫でたり、抱きしめたり(抱きしめたり!)して、それこそ子供のように夢中になってあれこれ物色しているのだった。

(…まったく)

困ったもんだ。僕は、ぬいぐるみにもうかうかしていられないらしい。大学の男共だけでも手を焼いているっていうのにさ。

「…探し物は見つかった?伊織さん」
「……っ!?か、か、かず…!」

驚いた伊織は、顔を真っ赤にさせて口をぱくぱくさせている。まるで夜店の金魚みたいだ。あの小さな、頼りない生き物。

「な、な、なんで…!?」
「なんでって、僕は買いたい本を買って、本屋の一階で煙のように消えた君を探し、そして店の外でぬいぐるみと戯れる君の後ろ姿を見つけてお迎えにあがったところですよ?」
「ぅ、あ、だ、だって、は、早くなぃ…?」
「どうも様子がおかしかったから、ちょっと急いだけど。でも、まぁこんなものだよ。君の計算がそもそも甘かったんだね、残念」
「うぅ…っ」

何も言えなくなってしまった彼女は胸元でぎゅうっとぬいぐるみを抱きしめる。何となく面白くなくて、僕はそれをひょいと取り上げた。
くたくたしたウサギみたいな生き物が、僕の手に掴まれる。

「あぁっ…うささん…!」
「うささん?…あ、なるほどウサギか」
「ち、違うの!ウサギじゃなくてうささんなの!」

そう言ってから、伊織は何かに気が付いたように口を噤んだ。それからバツの悪そうな顔をして僕を見上げる。

「…だ、黙って来てごめんなさい…」
「うん。心配したんだよ。すぐ見つけたから良かったけど。言ってくれれば一緒に来たのに」

僕にはウサギとうささんの違いもわからないけれど。
そう言うと、伊織はしゅんと俯いてしまった。いやだって、これはやっぱりウサギにしか見えないし、そもそも「うささん」ていうのはどういう基準で「うささん」なのだろうと思ったからそう言ったのだけど、伊織はそういう風には捉えなかったらしい。

「や、やっぱり、子供っぽいよね…」
「まぁ、子供が喜びそうなモノではあるよね。…あぁ、あと、女の子とか」
「わかってるんだけど…でも、昔から好きで…ここ、この間からセールでワゴン出してたでしょ?ずっと気になってて…」
「…そんなに好きだったんだ」
「だって、かわいいでしょ?」

目をうるうるさせてそんな事言う君の方がよっぽどかわいいんだけど。

「どうして僕には内緒だったの?」
「…子供っぽいって、笑われちゃうかな、って。一雪くん、大人っぽいし…、ぬいぐるみが好きなんて言ったら…が、がっかりしちゃうかなって、それで」
「それで?僕がもしかしたら伊織の事好きじゃなくなっちゃうかもって思ってた?」
「…だ、だってぇ!さ、佐伯くんが赤城くんは絶対そう言うぞって…」

…佐伯くんめ、憶えてろよ。しかも、そうなると伊織のぬいぐるみ好きを僕は知らなくて佐伯くんは知ってたって事じゃないか。それもまた腹立たしい話だ。
手にあるうささんをじっと見下ろす。無害そうな顔してるけど、中々手ごわそうだな、こいつは。
まったく、何て多難な恋だろう。想いが通じ合っても、僕と彼女の間には次々に邪魔が入る。
けれども、もちろん諦めるわけにはいかない。もう絶対離さないって決めたんだから。だって僕たちは運命の恋人同士なんだから。 (この件に関して、他人にどう思われようとも僕はちっとも気にしない。何なら僕と伊織の出会いから今までを、膝を突き合わせて詳細に話して聞かせるくらいの準備はある)

「…そんな事、あるわけないよ。むしろ隠されていた事の方がショックだぜ?僕としては」
「ご、ごめんね?」
「…今度からは黙っていなくならないでね?」
「うん」
「じゃ、帰ろう。もう結構時間経ってるし」
「え…えぇ…、ね、ねぇ一雪くん、もうちょっと…」
「だぁめ。セール品だけど、一応商品なんだから。あんまり触っちゃ店員に睨まれるよ」
「で、でも…」
「そんなに好きなら僕を可愛がればいいじゃないか」
「…へっ?か、一雪くん何言ってるの?」
「僕がそいつらの代わりになってあげるってこと。…そうだよ、そうすればいい。撫でたり触ったり、いくらでもすればいい」

というよりも、僕以外には例えぬいぐるみにだってさせないよ。
心の中だけでそう言って、僕は伊織の小さな手を取った。目の離せない、僕の大事なお姫様の手を。






「で、でも、一雪くんはかわいくないじゃない」
「あれ?結構いけると思うけどなぁ。じゃあ、ぬいぐるみ役は伊織だね。たくさん可愛がってあげる」
「なっ……!?そ、それは、何か話が違うと思いますっ」
「違いません。僕にとっては同じ事です。ついでに拒否権も認めません」
「やぁぁん!ちょ、ちょっと待って…!」