サドンリィ・キャラメル
別に、どうということのない日曜日だ。天気もそこそこ良くて、すぐ横を歩く女の子は終始機嫌が良い。そして、表情だけは仏頂面を通している自分もまた、悪い気分ではない。
「それ」を先に見つけたのは自分ではなく彼女の方だった。
「あっ!佐伯くん、あれ見てよ!」
「え?…あっ、ちょっと待てよ!」
言うが早いか子供のように駆けだす彼女を、佐伯は慌てて追いかける。走り出した彼女のスカートの裾がひらりと浮き上がるのが見えた。白い、ふんわりとした生地のフレアスカート。 彼女といると、佐伯はしばしばこうして予期せぬ動きに泡を食う。何せ彼女の行動には「計算」とか「遠慮」とか、そういう物が欠如しているのだ。決して頭が悪いとかそういうわけではなく、…いや、時々こいつの頭の中はどうなってるんだと思う事もあるけれども。とにかく天真爛漫と書いて「ムシンケイ」と呼べるのは間違いない。
自分は、彼女に振り回されている。その自覚はある。不本意だが、抗えない。
「…お前はっ、急に走りだすなよ、子供か!」
「急じゃないよ、あれ見て!、って言ってから走ったじゃない」
「ヘリクツ言うな。危ないだろ、人もいるし、何かあったら…」
もし見失って、キャッチだのナンパだのに引っ掛かったらどうしてくれる。(そんな厄介な相手でも、彼女はへらりと隙だらけの対応をする。そう見える)
万が一にも事故に遭う可能性だってなくはないじゃないか、と、ぶつぶつ言っていると、彼女はきょとんとした顔で佐伯を見上げてきた。
「…佐伯くんって、本当心配症だよね」
「…誰のせいだっ」
「わぁっ、いきなりチョップ反対!」
この無自覚のせいで俺がどれだけ苦労してると思ってんだ、という怨念を込め手をチョップの形にかまえたところで、ふと気付く。視界の端に見えた華やいだ空間に、さすがの佐伯も気を取られてしまった。
このショッピングモールを歩いていれば、ここは必ず通ると言っていいくらいのメインストリートで、そこのショーウィンドウともなれば当然目に入る。それでも普段あまり意識しないのは、ディスプレイされている物をそれほど意識して見ることがないからだ。
改めて見てみると割と大きくスペースが取ってある。良く磨かれているらしい、指紋一つ見当たらないガラスの向こう側の世界に、彼女はきらきらと好奇心や憧れを込めて、そして佐伯は、その正体に若干怯みつつも、それに目をやった。
それは、間違いなく「結婚式」だった。もちろんドレスやスーツを着ているのはマネキンだが、それ以外は丸っきり、そのまま教会のウェディングの一風景だった。
もちろんウィンドウのディスプレイなのだから、そのまま写真のようにそれを再現しているわけではない。一つのアートとして見ても観賞に耐えうる風に配置されている。ドレスだって普通の式に着るには少し派手というか、デザインの凝ったものだし、それ以外にもハート型の立体模型やら羽やら花やらが上手く使われている。
「すごいねー、綺麗だなぁ」
「まぁな」
綺麗は綺麗だが、こういうものは女性は好きかもしれないが男の佐伯としては少し気恥ずかしい。嫌だとかいうんじゃなく、単に恥ずかしい。隣に立っている彼女と見ているという事実も、恥ずかしさに更に追い打ちを掛ける。
(…なんか、色々想像しちゃうしさ)
ガラスの向こうの純白のドレスを着るマネキンを彼女に置き換えることくらい、佐伯には難しくない。というよりも、さっき見かけた瞬間から、彼女以外では考えられない自分はちょっとおかしいのかもしれない。
たぶん「その時」には、彼女は誰よりも輝いていて、そして一番幸せそうな笑顔を見せてくれるに違いない。きっとたくさんの人が彼女を祝福するだろう。自分と違って「友達」が多いから。
でもそれよりも一番傍に、彼女と腕を組んで隣にいるのは―――。
「…えきくん、佐伯くん」
「……へっ?」
「どうしたの?さっきから一人でぶつぶつ」
声に気付くと、不思議そうに見てくる彼女の顔があり、そしてその彼女は水色のサマーニットにフレアスカートという恰好――つまり普段着――であることを認識するまでにたっぷり3秒ほどかけ、我に返った。
「な、何だよ!何も言ってないよ、俺は!」
「えー嘘!だって、どうせなら海の見えるところが、とか何とか言ってたじゃない」
「わーわー!言ってない言ってない!ていうか、お前そういうのはちゃんと聞いてるのな!肝心なことはいっつも聞き流すくせに!」
恥ずかしい。だから嫌なんだ、こんなもの見たら、そんな風に想像してしまうから。
もっと見ていたいなどと、我儘を言ってウィンドウに張り付く彼女を何とか引き剥がし(ケーキを奢ってやると物で釣った)、佐伯はずんずんと歩く。早くあのウィンドウから離れたい気持ちと、彼女と同じくもう少し見ていたかったような物足りなさもどこかで感じながら。
「あーぁ、もうちょっと見たかったなぁ」
「ワガママ言うな。大体、お前がいるからあんな…そうだ、だからお前がいるのが悪い」
「えぇっ!?全然意味分かんないよ!それに、歩くの早いってば」
「分かんないなら、いい。黙って歩け」
こうして歩いている間に、何とか火照った頬を元に戻さないと。そう思うと歩く速さを抑えられなかった。だが見られたとして、どうせ鈍感カピバラな彼女は気付かないだろう。「あれ?もしかして風邪?」とかいうベタな反応が返ってくるに決まっている。…違う、別に哀しくなんてない。単にプライドの問題だ。そういう顔を、見せたくはないだけだ。
(ああもう!何でこんな風になっちゃうんだ)
いつも、自分ばかりが意識してしまう。いつもそうだけれど、もういっそ物悲しさすら感じてしまうこの温度差は何だ。自分は彼女にこうして誘われる度に、それなりに期待があったりドキドキしたりしているというのに。会ってみれば、へらへらと無邪気な対応ばかりで、でもそれすら可愛いと思ってしまったりして。
惚れた弱みだなんて、死んでも認めたくないのに。
「ねぇ、佐伯くん」
「何だよ」
「さっきの、海が見えるところがいいって、私もそう思うよ」
「だからそれは……、え?」
「私も海が見えるところがいいなー」
彼女はそう言って、にっこりと笑った。無邪気そのもの、そしてきっと、あのドレスだって見劣りするくらいの笑顔で。
「よーし!じゃあ早いとこケーキ屋さんに行こうー!」
「え、え、ちょ、待てよ!なぁ、さっきの…!」
「ほらー!早く行かないと置いて行っちゃうよ?私が先に着いたらケーキもう一個追加だからね!」
「ま、待て!それは認めないぞ!」
あぁ、だから嫌なんだ。
先を行く彼女を追いかけながら、熱くなった頬はしばらく元に戻らないだろうなと諦めた。
Thanks!! 50000Hit&2nd Anniversary!!
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