あの日、見上げた空は
「あー…今日もあっちぃなぁ…」
カレンダーの日付は、もうそろそろ9月になろうかっていうのに、夏の勢いはまだまだ衰える感じがしない。とはいえ、今、俺がいる場所はきっちり冷房が効いていて汗もかかない状態だから、「あつい」と言ってもまるで他人事のように聞こえるわけだが。窓の向こうに見える白い光に溢れた世界は、まるで遠い、自分には関係のない世界のようにすら思える。
「もう夏休みも終わりかー」
「…丁度、そんな時期ですね」
「あ、すみません」
つい漏れた一言に相手がくすりと笑ったところで、我に返る。そうそう、今は「仕事」なんだよ。きっちりしねぇと。
高校を卒業してから数年。俺がやってるバンドも、それなりに名前が売れ始め、今ではこうして取材が申し込まれる程だ。もちろん、本当の目標にはまだまだ届かかねぇけど、とりあえず前進している実感はある。
この暑いのにきっちりとスーツを着込んでいる記者が小型録音機をテーブルの上に置き、「それではお願いします」と朗らかに笑いつつも、姿勢を正して向き合った。
こういう時に聞かれる話とは、聞かれる立場になって気付いた事だが、大抵同じような内容だ。バンドを始めた動機、始めた頃の話、バンド仲間との事、そしてこれからの目標、抱負。
「…では、高校時代からずっとライブをされてきたと」
「はい、そうです」
「高校といえば、ハリーさんはあの志波選手と同級生でいらっしゃるんですよね」
「そうですよ」
出てきた名前に思わず口元が緩む。これも毎度の質問だ。志波は今では大学野球じゃたぶん一番有名なくらいの選手だが、羽学にいた頃は、俺と「ニガテ克服委員会」なんかをやっていたダチだ。
「凄いですよねー!そんな人と学校が一緒だったなんて…!」
「つっても、別にべったり一緒だったわけじゃないですけどね」
「何か、思い出とかありますか?今は丁度夏休みの時期だし、それに因んで」
…おいおい、何か妙にテンション上がってきたな。もしかして志波のファンなのか。目の色変わってんぞ。…まぁ、そんな事でむっとするほど、俺は小さい男じゃないけど。
言われて、あの頃のことを思う。あの頃は、今とは違う意味で必死だったけど、どうしてか楽しい思い出ばっかりで。だから俺は、割と幸せな高校生活を送っていたのだろう。
「ハリー!花火しない?」
あいつの誘いはいつも突然だった。名前は海野あかり。無邪気で遠慮がなくて、でも、そういうところに救われていたし、気に入っていた部分でもある。不思議に、あいつからの誘いは断ろうという気にならなかった。
「俺はいいけど、志波は?」
「うん、来るよ!どうせなら人数たくさんいる方が楽しいと思って」
「……おう、わかった」
あかりは無邪気で遠慮が無くて、おまけに超ド級の天然だった。こいつの親友だった俺は、この時ばかりは志波が気の毒になったものだ。フツー、こういう時は2人じゃねぇ?「志波くんの事が好き」とか言っておきながらどういう神経してんだか。…そうは言っても俺に断る理由はないし、あいつらといるのは楽しいからつい一緒に遊んじまうんだけどさ。
集合は砂浜だった。家を出た頃はまだ空があかるくて、それでも夕方の空に微かに藍色が混じって綺麗だったのを今でも思い出せる。
ああ、そうだ。あの時も、もう夏休みが終わるなと思ったんだ。最後の夏休み。
「おまっ…!何だよこれ、この大量の花火は!」
「だって、たくさんあったら楽しいかなって…」
「あのなぁ!同じ種類の手持ち花火ばっかりどーするよ!ロケット花火とか、ねずみ花火とか、へび花火とか、もっと色々あんだろーが!」
「あ、そうか」
「あ、そうか、じゃねぇ!」
だから家出てくる前に聞いたのに。「私が用意するから大丈夫だよー」なんて、やっぱ信用すんじゃなかった。こいつってば時々気が回るんだか何なんだかわかんねぇんだよな。
ダメだしする俺の横で「もういいだろ、針谷」と志波がため息交じりに言った。くそ、こいつは甘いんだ。例えこいつが大量に線香花火を買っても文句は言うまい。
「あのぅ…ごめんね?ハリーも、志波くんも」
「俺はいい。お前と花火出来るなら、それで」
「あーはいはいお熱いことで。どうせウルセーのは俺一人だよ。こうなったら手持ち花火でめちゃめちゃテンション上げてやる」
「さすがハリー!」
「おう!任せとけ!」
そして実際、見た目同じような手持ち花火でも、火をつければ色んな色や形の花火が見れたので、つまらない事なんて全然なかった。しゅわしゅわと手元で光る花火は、小さくとも綺麗で、それだけで俺たちは歓声を上げる。…志波は、どっちかっていうと花火よりあかりの事ばっか見てた。その光景は、何故か俺をほっとさせるような、妙に座りのいい心地にさせる。…うまく言えないけど、志波もあかりも俺にとってはどっちも同じくらい大事な奴だから、その二人がこうして想い合っているってのは、何かいいなぁって思うわけだ。
それで、その姿を写メってやろうとしたら「こんな時間に、何が写り込むかわからないぞ」と脅された。構え掛けたケータイを速やかに引っ込めたのは言うまでもない。
「またいつか、皆で花火したいね」
帰り道、志波が引っ張る自転車の荷台に座るあかりが、そんな事をぽつりと言った。サンダルを履いただけの素足を、ゆらゆらと揺らしながら。
夏の夜空は妙にあかるかった。暗いけど、どこか昼のあかるさを隠しきれてないような感じがする。緩く風が吹く度、煙と、潮の匂いが鼻についた。
「別にいつでも出来んだろ。な?志波」
「あぁ」
「えー、そうかなぁ」
あかりは意外そうに声を上げる。意外そうで、それで少し不満そうな。
「何だよ、何か問題あるか?」
「だって、二人ともこれからきっと有名人になっちゃうもん。こんな風に花火なんて出来なくなるんじゃないかなぁって」
少し、声のトーンを落として言うあかりに、志波が間髪いれずに「そんなの関係ないだろ」と言った。短い、でもまっすぐな言葉。
「そうかなぁ」
「あぁ」
「ハリーもそう思う?」
「あ?そりゃそうだろ。別にこんなの難しい事じゃねぇし」
あの時、ちりちりと自転車をひっぱる音がずっと付いてきてたのを憶えている。あと、舗装された道路が妙に砂っぽかったことも。
それ以来、俺はあいつらと花火をした記憶はない。「難しい事じゃない」と言いながら、そういえば、それは成されていない。
「…今日は、ありがとうございました」
「いや、こちらこそ」
結局、俺はあの時の花火の事をずっと思い出しながらも、全然別の話をしていた。別に話したって良かったんだけど、何となく勿体ない気がして。
そのせいかどうかわからないが、どうやら志波のファンであるらしい記者に、今度サインを貰っておきます、だなんて言っちまった。…まぁ、すげぇ喜んでくれたからいいか。志波には悪いけど。
外に出ると、途端に熱気と湿気が体じゅうにまとわりつく。圧倒的な熱量が、さっきまで遠い別世界のように思えたものが実は自分の生きるリアルなのだと、否応なしに思い出させた。さっきまで冷やされていた体にもう汗が滲むのを感じながら、携帯電話のアドレス帳からとある電話番号を引っ張り出して通話ボタンを押す。俺からかけるのはかなり久しぶりだ。
見上げた空は、あの日の空に似ていた。夕焼け空に藍の混じった色、花火をしようと海へ向かった、あの日と同じ。
『もしもし、ハリー?』
「おう」
わぁ、久しぶり!元気ー?と全然変わらない能天気な声に、つい笑ってしまう。変わらない安心感。
「お前、今日暇か?」
『今日?うん、大丈夫だけど』
「花火するぞ、花火!志波も呼んで」
今回こそは、ロケット花火も、ねずみ花火も、へび花火も用意してやろう。電話を切って、夏休みの高校生みたいな気分で、俺は歩き出した。
Thanks!! 50000Hit&2nd Anniversary!!
かのさまからリクエスト、「志波主+針でほのぼの話」でした。
夏休みの時期だから、夏の話だー!花火だー!と思っている間に夏休み終わっちまってすいません…!
実はほのぼの話って自信がない分野っぽいので(好きなんですけど!)、ほのぼのになっているのかどうかもわかりません。ていうか、志波主色が無さ過ぎてすみませんすみません…!
志波とデイジーがって言うよりも、デイジーとハリーが良い友達なんだぜって、そ、そういう事で、一つ…!
卒業しても、皆ずっと友達でいてほしい…!という願いも込めて。(ここで込めるな)
こんなお話ですが、かのさまに。
リクエストありがとうございました!
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