僕らの太陽はただ一つしかない





「志波くん、お疲れさま!」
「…おう」

彼女の笑顔はまるで太陽のようだと思う。明るくて、あたたかで、そして分け隔てない。今しがた志波に向けたとの同じような笑顔を後輩の部員たちにも振りまきつつ、彼女はてきぱきとマネージャーとして働いていた。
そう。だから、いずれはこういう事態になったとしてもおかしくはなかった。地球上全てのものに等しく与えられる太陽の光と同じように、彼女の笑顔もまた誰に対しても正しく平等に向けられる。…少なくとも、志波にはそう見えた。それは、叶うなら自分だけに向けてほしいと願う志波にとっては、もどかしく感じないわけではなかったが、裏を返せば彼女に特定の相手がいないという証明でもある。
部室に戻り、他の部員達に混じって着替える。周りのチームメイトと二、三、言葉を交わす。練習の感想、明日の予定の確認、あとは他愛もない話。こういう雰囲気は嫌いじゃない、が、さすがに空気が良いとは言えなかった。埃っぽさと熱気に顔を顰めつつ、それでも他の部員に笑って手を振り、志波は早々に部室から出る。荷物も、もう全部まとめてあった。

これから、行くところがある。

「志波くん、もう帰るの?」

ふと、背中に声がかかった。マネージャーである彼女は、まだ作業中らしい。大体、部活の練習後は一緒に帰る。大体、というより、絶対に、という言葉を使ってもほぼ間違いないくらいだ。
待ってる、と言いそうになるのを寸でで呑み込み、志波はただ「ああ」と答えるだけに留めた。

「悪い、今日はちょっと…先に帰る」
「そうなの?うん、わかった。じゃあまた明日ね!」

歯切れ悪い自分の言葉を欠片も疑わない彼女の応えに、ほっとするのと同時に少しだけ失望めいた気持ちにもなる。これから志波がどこへ行こうが何をしようが、彼女は露ほども気にはならないらしい。…こっちは表情一つ、行動一つでいちいち心が波立って、少しも落ち付いていられないのに。

「あぁ、また明日な」

身勝手な言い分だ。何も言えないままの自分を棚に上げて、それなのにこんな気持ちになるなんて、と、気持ちが表情に出ないように無理やり笑って(この辺りは、自分の表情筋があまり鍛えられていないことが幸いした)彼女と別れた。

すたすたと、いつもの調子で道を歩く。一歩進めるごとに、もやもやと心に残る何かが、焦りに変わっていく。結局、立場は何も変わらない。部活が同じで、どれだけ一緒に帰っても、日曜に二人で出掛けても。

結局のところ、空中庭園の上にでも登って「こっちの方が太陽に近い」と言っているようなものじゃないか。

『話があるんだ』

彼の言葉は決意に満ちていながら、尚且つ悲愴感に溢れてもいた。闘う前に、既に崖っぷちに追い詰められているような、そんなギリギリの空気が痛々しい程だった。
目が合った瞬間に、彼の言わんとする事を理解し、そして、決して避けられないのだと知覚する。逃げれば負けだ。何事も、それは決まっている。野球でも、ケンカでも、何でも。
逃げるつもりなんてない。負けられないし、譲れない。ただ、目が合った瞬間に、自分の中の理由の無い余裕――何故そんな風に自信を持っていられたのか、今となっては見当もつかない――が、突然、霧が晴れるように無くなってしまったのも事実だ。都合の良い夢から、冷や水を浴びせられて気が付いた無機質な現実。

『じゃあまた明日ね』

志波でなくても、それは当然向けられる言葉であり笑顔なのだ。自分でなくても、彼女は野球部の練習を見詰める生徒に声を掛けただろう。何一つ、特別な事なんてない。「友達」なら当然だと彼女はきっと笑うに違いない。その事に、気が付いてしまった。
『話がある』。そう言われた時点で、正確には既に事足りていた。これから会う必要なんて、本当はない。きっと、お互いに気が付いている。彼は頭が良いので尚更だろう。
少し歩調を緩めて、大きく息を吐いた。夏が近い夕方の空気は湿気を含んで重苦しい。息を吐いて、そして、実は緊張しているらしい事に気が付く。
夕日が窓から入り込む廊下は長い影を帯びて薄暗い。目的地までは果てなく続いているような気がした。





放課後の生徒会室は静かだった。静けさが、耳に痛いくらいだ。氷上格は、その部屋の、生徒会長が使う机、つまり今は彼の居場所であるデスクにぼんやりと肘をついて座っていた。
どうしてこんな事になってしまったのだろう。約束の時間が刻一刻と近付いている今頃になって、ぼんやりとそんな事を考えた。僕は、ここで何をしている。…誰を待っている?何のために?

実際、あれは考えなしの行動だった。だけど、あの瞬間までは、氷上は「何に代えても」言わなくてはならない、と、どういうわけか息巻いていた。彼に、話があると言ってしまうあの瞬間まで。
言ってしまった後、後悔した。自分の言葉に、彼は驚いていたようだが、だからといって怯みもしなかった。勢いこんで宣言した自分の方が、事の重大さに唖然としたくらいだ。
彼と彼女の関係は良く知っていた。同じ野球部で、帰りは良く一緒に帰っている。友達で、部活仲間。彼女自身が笑顔付きでそう説明してくれたのだから間違いない。
彼女の言葉は例えるなら電子計算機並みに正確で、それ以上でもそれ以下でもない。ある意味残酷だと言える程、厳密に言葉通りの意味合いしか含まれない。
けれどもちろん、生徒会に所属し、さして下校も一緒にならない自分にとっては、はっきりと劣等感を持てる材料だった。
彼女の持つ、優しさも、明るさも、時として驚かされる奔放さも。それらは全て自分だけに向けられるものでないことくらいは知っていた。そして、あの野球部に途中入部した彼が自分と同じ類の想いを彼女に持っていることも気付いていた。自分は恋愛事には疎い方だと思っていたが、自分と同じ気持ちを隠し持つ相手には敏感になれるらしい。良いことか悪いことかはわからないけれど。

ある日曜日の夕方、偶然二人が一緒にいるのを見かけた。商店街だったか、ショッピングモールだったか場所は良く憶えてない。ただ、あの二人だと、彼の隣で楽しそうに歩いているのが彼女だと認識した瞬間に、何か、自分の中で変わってしまった。驚きと強烈な嫉妬は、怒りにも似た高揚した気持ちに容易く摩り替わる。見ているだけで構わない。そんな、負け犬根性を決め込んでいた自分を激しく後悔した。

(…そうだ。その気持ちに、変わりはない)

グラウンドの方から遠く誰かの声が聴こえる。何もかもが遠く感じた。静まりかえった空気も、ひんやり冷たい机も、薄暗い生徒会室も。何もかも遠く、余所余所しい。全部が作り物めいて、落ち付かない。少しも馴染まない。

(いや、馴染まないのは、僕か)

こんな事をして、何になる。伝えたい事は、『話がある』と言った時点で伝わっている。きっと彼もわかっている。確認したわけではないけれど、それはわかる。
まるで道化だ。わかりきった事を、また芝居じみて自分は彼に宣言するのだろうか。「僕も彼女が好きなんだ」。それからどうする?…まったく、馬鹿げている。

けれど、逃げるわけにはいかない。

「…悪い、遅くなった」

がらりと、生徒会室のドアが開く。その音は、死刑宣告のそれのようだった。彼の声は、これから始まろうとするくだらない茶番の幕開けの合図。それと同時に、どういうわけか氷上を掬い上げる言葉だった。後悔と自己嫌悪の泥から引き上げてくれる声。

「いや、いいよ。呼びだしたのは僕の方だ。むしろ、ここまで足を運んでもらった事に感謝するよ」

もっと刺々しい雰囲気になるかと思っていたが、そうはならなかった。むしろ好意的なものにすら思えた。まるで、久しぶりに会う友達に会った時みたいな、懐かしさと気恥ずかしさのようなもの。
灯りを付けていない生徒会室は薄暗い。だから、向かい合う志波がどういう表情をしているかははっきりとは見えなかった。でも、きっと同じだと氷上は確信する。きっと、合わせ鏡のように同じ顔をしているに違いない。

「…この間の日曜に、見かけたんだ。君と…、その、彼女が一緒に歩いているのを」

くだらない。二番手であると宣言するようなものだ。普段、圧倒的に自分よりも彼女と一緒にいる彼に、「羨ましい」と告白しているようなものだ。

「僕は、彼女と話しているといつも気が気じゃないんだ。いつ、君との事を相談されるのかって」

それでも諦めたくない。例え、結果はほぼ確定されているとしても。この気持ちをうやむやにはしたくない。
まけたくない。

「…でも、僕は、彼女の相談に応じる事は出来ない。そうするつもりは、ない」





氷上の言葉の一つ一つが深く心を抉るように響く。強い言葉が不安と対抗心を煽る。駄目だ、俺だって引けない。そう、言わなければいけないのに。

「…そうか」
「…ああ。そうなんだ」

こんな事に付き合わされて、それでも氷上を責める気にはなれない。太陽は唯一つしかない。だから同じように焦がれる気持ちが、わかるからなのかもしれない。

「…わかった。憶えておく」





からからに乾いた喉から、ただそれだけを絞り出すように口にした。












Thanks!! 50000Hit&2nd Anniversary!!






尚さまからリクエスト、「VSモード話」、でした。
志波くんと誰かでデイジーを取り合って下さい、ということで、今回は氷上くんに頑張ってもらいました。こういうのって誰がはっきりさせるかなーとぼんやり考えた結果、何となく氷上くんになったのです。志波くんと対照的っぽいし。
しかもデイジーを取り合うも何も、デイジーほっとんど出て来なくってすみません…。
ちょっと言い訳させて頂くと、GS2だとどうしても親友モードなわけで、男の子一人が切ない思いをする、という話になると思うのですが、この際「VS]なので男同士の話を!書きたい!と思いまして。そして失敗しt(ry
リクエストでは何も指定は無かったのですが、恐らく「志波主前提」のお話で、だと思うのですが…「VS]って事で、五分五分っぽく、志波にもちょっとビビってもらいました。うちの志波はいつも当然のようにしてデイジーは自分のモンだと思ってやがるので良い薬です。…あれ?そうでもない?(笑)

こんなお話ですが、尚さまに。
リクエストありがとうございました!