(な、なんてこと…!)
息をのむ私。そして、目の前にででんとあるピンク色のふわふわな物体。そしてその隣にいる先輩の勝ち誇ったような笑顔。
「…今年は、無いと思ったのに…っ!」
「ふっふっふ、甘いなさよすけ!観念しろ!」
「う、うあぁぁん!」
部室には虚しく私の叫び声が響くだけだった。
Bonjour! Mon petit lapin
「どうして文化祭なのにウチの野球部は当然のように参加してるんですかっ!?おかしいじゃないですか!そもそも、先輩はもう野球部引退したはずなのにっ!」
「ノンノーン!落ち着きたまえ、さよすけくん。今回は野球部というよりも、さよすけ個人にオファーが来ているのだぞ?手芸部からファッションショーの宣伝して欲しいってな」
「そ、そんなのどうして私が…!手伝うのはいいけど、どうしてこの恰好をっ…!」
「それは、この学校のベストドレッサーインうささんがお前だからです。諦めたまえ」
「何それ何それ!意味わかんない!」
もう文化祭は明日というこの日に、立川先輩はいそいそと例のうささん着ぐるみを持って部室に現れた。
一年生の文化祭の時、私はこのうささん着ぐるみを着て、野球部宣伝の為に校内を練り歩いたのだけれど、知らない所であれは密かに評判になっていたらしい。好評だった事に気を良くした先輩は、頼みもしないのに手芸部から依頼を取ってきてくれた。どこまで本当の話かアヤシイけれど。
まずもって、うささんって何なのだろう。皆知ってるみたいだけど、未だによくわからない。
とにかく先輩は、私にこのうさぎさんの恰好をさせたいらしい。ヘンタイだよ、ヘンタイ。
でも、今回は黙って先輩のオウボウに耐える私じゃないもんね。気を取り直して、背筋を伸ばして先輩に向き直る。
「で、でも、先輩がもう部外者なのは確かですよね?私は野球部所属なので、部長の藤枝くんの許可が無いと、そのお仕事は引き受けられません。ジムショ、通してください」
どうだっ、これはさすがの先輩も諦めるに違いないっ。新しい部長の藤枝くんは真面目だから、立川先輩の悪ふざけにはいつも呆れているし、だから今回だって絶対私の味方になってくれるはず。
むんっ、と立ち向かう私に、けれど立川先輩は笑った。…物凄くワルイ顔して。
「ふっ…そんな生意気な新人女優みたいな物言いでこの俺を出し抜いたつもりか?まぁ一年の頃よりは知恵を付けたようだが、所詮は浅はかな思い付きだ…そうだろう!藤枝くん!」
「えっ?」
それまで黙って事の成り行きを見ていた藤枝くんは、立川先輩に名前を呼ばれてびくりと肩を揺らした。…あれ?どうして私と目を合わせてくれないの?いつもはあんな挙動不審な動きをしない人なのに。
「ふ、藤枝くん…、ねぇ、こんなの私、やらなくってもいいんだよね…?」
「……一ノ瀬、悪い」
目を逸らしたまま、藤枝くんは辛そうに呟いた。
「俺を無力な部長と罵ってくれてかまわない…、今回は、無理だ。助けられない」
「そそそそんなぁ!なんでどうして…っ!?」
「…鈴原にそんな妙なモン着せられねーだろ」
鈴原さんというのは、一年生のマネージャーさんなのだけど。
え?え?それって、私だったらいいってこと?鈴原さんにはさせられないから、代わりに私を先輩に…差し出した、と?
「ひ…ひどいひどい!藤枝くんは味方だと思っていたのにっ!」
「何と言われようとも、俺は一番弱い鈴原を優先する」
「そっ…そんな…信じてたのに…」
じゃあな、と背を向けて部室を出て行く藤枝くんを呆然と見送る私に、立川先輩は憐れみすら込めて微笑んだのだった。
「…他人を信じすぎるなという、良い教訓になったじゃないか。諦めたまえ、さよすけくん」
「…〜〜っ、うるさい!似非紳士!」
…とまぁ、そのような経緯がありまして。
「きゃああああ!かわいいっ、でもってこのクオリティ!さすが立川くんだわー!」
手芸部の先輩にぎゅむっと抱きつかれて、一瞬、足元がおぼつかなくなる。くらりと倒れそうになったのを、後ろからがっしりと支えてくれる腕があった。
ここはファッションショーの控室とはまた別の部屋。わざわざ私の為にここを押さえてくれたらしい。ま、そうは言っても普通の家庭科準備室なんだけどね。
「…先輩、これ着ている時はバランス取り辛いらしいんで」
頭の上から、低い声が降ってくる。聞きようによっては怖くも聞こえるけれど、手芸部の先輩は「あら、ごめんなさい」と、さして気を悪くした風でもなく、すぐに離れてくれた。
「去年見かけた時から、実は目を付けてたのよねー。あなたが引き受けてくれてすっごく嬉しい。ウチの部のショーは割とレベル高いと自負しているんだけど、いまいち面白みに欠けるっていうか、演出が地味って言うか…それで、立川くんにダメ元でお願いしたのよね」
「…そうだったんですか」
手芸部から頼まれた、なんて、適当な嘘かと思っていたけど、どうやら本当だったみたい。…う、これは、ちょっと責任重大かも。
緊張をじわじわと感じ始めた私を、手芸部の先輩は色んな方向から眺め回していて、時々「へぇ、なるほどこうなってるのね」とか「うわ、ここ凄い」とか感想を漏らしている。
「あ、あの…これってそんなにスゴイんですか?」
「そりゃそうよー!あの人、何でこんなの作れるのに野球なんてやってんのかと思ってたもの。出来れば手芸部に入って欲しかったくらい」
「…へー」
「まぁ、野球に一生懸命だったから、とてもそんなの言えなかったけど…と、そろそろ私は行かなくちゃ」
先輩は腕時計を確かめてから、「お願いね」と、ぽんと肩を叩いた。
「じゃあ、時間になったら呼びにくるから。それまではここで楽にしててね。飲み物も、あと差し入れも適当に摘んでおいて。…あ、もちろん、マネージャーくんも」
それじゃ、と手を振って出て行く先輩に、マネージャーくん…と呼ばれた志波くんは軽く先輩の方に頭を下げた。
そう、今日一日は、志波くんが私のマネージャーらしい。私を「裏切った」藤枝くんがせめてもの償いだと言って、志波くんも一緒にとお願いしてくれたのだ。
志波くんは、私が去年コレを着て倒れたのを知っているので、快く引き受けてくれたみたい。本当に、今日はずうっとぴったり傍に居てくれている。
「…何が飲みたい?」
「え?えっとね…」
「それと、ちょっと食べた方がいい」
志波くんは、机に置いてあるペットボトルから、紙コップにお茶を注ぐ。後は、焼き菓子みたいなのを適当に見繕って持ってきてくれた。わぁ…すごい。優しいなぁ…。
「…何だ?」
「うぇっ?」
「口、開いてるぞ」
あわわ、つい見惚れちゃってたみたい。あぶないあぶない。
「い、色々してもらって…ごめんね?」
「どうして?…今日は俺がお前のマネージャーなんだろ?」
志波くんは笑って、ぽふんと私の頭に手を置いた。ふわふわの着ぐるみ越しだけど、志波くんの手の温度が伝わってくるような気がして、どきりとする。
そりゃあ…私は、志波くんとずっと一緒にいられるの嬉しいけど。でも、折角の文化祭だったのになぁ…志波くん、食べ歩きって去年も張り切ってたし。本当はあちこち回りたいんじゃないかなぁ。
椅子に座って足をブラブラさせている私に、志波くんは、まるで私の心を読んだみたいに、また笑った。小さく、でも穏やかに。
「別に、迷惑だなんて思ってないし…これはこれで結構楽しんでるぞ、俺は」
「…そうなの?」
「あぁ」
普段マネージャーやる事なんてねぇしな、と、志波くんはお茶の入った紙コップを私に手渡そうとして…そして、動きを止めた。
「そうか…、それじゃ飲めないのか」
「あ…」
そうだった。この着ぐるみは手の部分外せないから…零したりしたら大変だし。
「仕方ねぇな。…ちょっと上向け。…飲ませてやるから」
「えええっ!」
何気なく言われた一言に、ぼんっ、と一気に体温が上がる。
のっ、のまっ、のませてやるって…!えぇ、まさかそんな、だ、ダメダメ!
思わず仰け反る私に、志波くんはきょとんと不思議そうな顔をしてる。
「一人で飲めないだろ?コップ、支えといてやるから」
「……あ、そ、そう、だよね」
……。
……わ、私っ、今、物凄く恥ずかしい勘違いをしたっ!わぁぁ、もう、穴があったら入りたいくらい恥ずかしい!むしろ掘って埋まってしまいたい。
「おい、顔赤いぞ。暑いのか?」
「ひえぇっ、だっ、大丈夫!大丈夫だからっ!」
大丈夫だから、あ、あんまり顔寄せて見ないで!さっきの勘違いをまた思い出して…あぁもう、やだ!こんな恰好してるからだ!それでもって、ずっと志波くんと一緒にいたりしたから…っ。
ぽんぽんと、あやすように頭を撫でられる。
「…緊張してるんだな。大丈夫だ、お前なら、やれる」
「う、うん…」
緊張とは、ちょっと違うんだけど。今は、それに関しては黙っておく。
「緊張したら、俺のこと思い出せばいい」
「…え?」
顔を上げると、志波くんは優しい顔をしていた。優しい顔で、私を見ている。
時間が、止まってしまったかと思った。
「俺も、緊張する時は思い出すんだ。…チームメイトとか、先輩とか、…後は親とか」
そうか。だって、ボックスに一人で立つのって凄く緊張するよね。私の、こんな緊張とは比べ物にならないくらい。
「…一人じゃないって思えば、ちょっとは楽になれる」
だから、思い出せよ。と、志波くんは優しい、だけど真面目な顔で言った。
「いつも、一緒にいるから」
かくして、手芸部のファッションショーは、うささんの飛び入り参加の演出もお客様に受け、今年も大盛況で終わった。
ショーの間じゅう、立川先輩が写真を撮りまくっていたとか。
でもその後、柏木先輩に見つかって写真を没収された挙句きつーーく怒られたとか。
藤枝くんが苦々しい顔で「やっぱり鈴原にさせなくてよかった」と呟いたこととか。
うささんの私は、何故かそのままあちこち引っ張りだこになったとか。
でも終わった後に、最後少しだけ、志波くんと一緒に文化祭回れたこととか。
それはまた、別の機会に。
Thanks!! 50000Hit&2nd Anniversary!!
花山さまからリクエスト、「志波さよでほのぼの話」、でした。
さよすけって誰ぞ?と思った方は、二つ目の志波主を参照なさってください。
ほのぼの、というリクエストだったのに、何だかよくわからん話になってしまいました…志波さよ以外の人が暴れてますね、すみません…。
志波さよを書くのは結構久しぶりだったので、不安もありつつ楽しかったです。
あと、補足説明しておきますと、立川先輩は別にさよすけラブとかでなく、単にそういう趣味の人です(笑)
そして「mon petit lapin」とは「私のかわいいうさぎちゃん」です。まんまです。
こんなお話ですが、花山さまに。
リクエストありがとうございました!
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