飛べない鳥





飼うことを目的とされる鳥は、羽を切られることがある。

それは、飼い主の目の届かない所に行かなくさせる為でもあるし、鳥を躾ける為でもあるらしい。
飛べなくなり、常に囲われ、護られている鳥と、危険に出会う可能性がありながら、自由に飛べる鳥と、はたしてどちらが幸せだろうか。

そんなことを、最近ずっと考えている。



「そんなの知るか」

相手に対する気遣いなど一欠片も感じられない、いっそ傲慢ともいえるような響きを持って、その言葉は生徒会室に響いた。随分な言われようだが、紺野玉緒は僅かに苦笑するだけに留め、また手元に目を落とす。今更どうとも思わない。彼は感謝の言葉すら、あの調子で言うのだから。
備え付けのソファにふんぞり返る設楽聖司は、ふん、と鼻を鳴らして足を組み替える。同時に、ソファの皮が擦れるような音がした。

「鳥の気持ちは、鳥でなければわからないだろう」
「…まぁ、それを言われると元も子もない話なんだけどね」

手元にある書類に目を通し、整理する。生徒会長とはつまり生徒会のトップなわけだが、意外と雑務も多い。
けれど、それも後僅かだ。3年である自分は、文化祭で引退ということになる。

――紺野先輩。

ふと、執行部に入部した頃の彼女を思い出す。真新しい制服を着て、くるくると表情がよく変わったあの子。
けれども、笑顔に惹かれたのかと言えば、どうだろうか。自覚している間すらなかった。気付くと、彼女をいつも探している自分がいる。…今でも、だ。
彼女と出会って、自分の世界は変わった。「彼女に出会う前の世界」から「出会った後の世界」へ。

「おい」

不機嫌そうな設楽の声が生徒会室に響く。

「俺は鳥の話をしにきたわけじゃない」
「…あぁ、ごめん。話の腰を折ってしまって」

今だって、…こうして話をしながら自分はずっと彼女の事を思っている。設楽の声に耳を傾けながらも、ゆるゆると作業を続ける手は止めなかった。

――紺野先輩…、私、好きな人がいるんです。

今だって、あの時の言葉が、光景が、ずっと頭の中で流れている。再生機能が壊れてしまったビデオデッキみたいに。
あの時、何もかも終わったのだと知った。むしろ他から知らされるよりは、彼女からそう言ってくれた方が余程マシと思える。そうしてその一瞬後に、彼女の恋を、応援するとまではいかなくても見守るくらいはしてあげようとも思った。彼女がひたむきで、でもあまり器用じゃない事を自分は知っている。何より、そうして打ち明けてくれた事は、ある意味では優越感を憶えること――つまり「恋人」より近しい存在だと――でもあった。

(…君が、幸せなら)

そう思ったのは、嘘じゃない。
彼女は、可憐な小鳥だ。…自分の手の上から、「彼」の元へ飛び立っていく小鳥。

「俺は、あれを琉夏にやった憶えはないぞ」

はっきりとした苛立ちを込めた設楽の声に、思考に沈んだ意識が引き上げられる。「あれ」とは何なのか、事情が見えずに押し黙る自分に、設楽はもう一度、記憶を促すかのようにゆっくりと言った。

「あのチケットは、お前にやった。なのに何故、琉夏が持っている」
「…あぁ」

彼の言いたい事を理解し、紺野は息を吐く。それはまるで溜息のように零れて、少し嫌だなと自分で苦笑した。
チケット、とは、何時だったか設楽が自分にくれたものだった。クラシック音楽は然程詳しくもない自分も知っているような高名なピアニストの演奏会のものだ。それを、設楽は「行けなくなった」と言って押し付けてきたのだ。一番良い席を、二人分。

「…まさかとは思うが、お前があいつにやったんじゃないだろうな」
「違うよ。…あれは、あの子に譲ったんだ」

正直にそう言うと、設楽は一瞬驚いたような顔になり(そしてその一瞬だけは、本当にあどけない表情を彼はするのだけど)、けれど、またすぐに苦虫を噛み潰したような表情に戻り、ついでに盛大に舌打ちをされた。

「…行儀が悪いよ、設楽」

彼の怒りの理由も、何となく察しがつくので返答に困り、仕方がないのでその事を指摘する。

「馬鹿か、お前」
「…そんなに怒らなくても」
「へらへら笑うな」

どうにか話題を変えたいと穏便に済ませようとするところを、容赦なく遮られる。
ぴん、と、空気が張り詰めるのが肌でわかった。

「俺が、ご丁寧にもわざわざ二枚くれてやったっていうのに、それを丸々他人に譲るとはどういう了見だ」
「別に…、構わないじゃないか。少なくとも一枚は間違いない相手に渡っている」
「…っ、おいっ、玉緒!」

心が、冷えていく。
ばしんっ、と、乱暴な音がした。設楽が、両腕を机に叩きつけたからだ。ピアニストで、手を傷める危険のある事は決してやらない、彼が。

「…お前、返答によっては絶交だぞ」
「じゃあ、何だ。設楽が親切にもわざわざ手配してくれたチケットを無下にして悪かったと、謝ればいいのか」
「俺はっ、お前にやったんだ!お前が…っ!」
「…あの子はね、あいつが好きなんだよ」

自分でも、驚くくらい冷たい声だった。淡々と、まるで他人事みたいに。

「だから、彼を誘ってあげればいいよって、渡したんだ」

初めは自分が誘えばいいと思っていた。設楽がどういう意図でこのチケットをくれたのかはわかっていたし、そしてそれに乗ってしまおうという魂胆も少なからずあった。他から譲ってもらったのを理由に彼女を誘うのは、ぎりぎりルール違反でない気がした。いや、本当はそんなことどうでも良かった。どんな些細なことでもいい、彼女と二人で会えるなら、何だって良かった。

「彼女、すごく喜んでくれたよ。…だから、あれで良かった」

彼といる彼女を見たのは本当に偶然だったけれど、そこで気付いて良かったのかもしれない。
でなければ、とんでもない間抜けになるところだった。

「僕なんかと行くより、ずっと良かったんだ」

あの時の彼女を見て、「かなわない」のだと知った。あんな笑顔、見た事がなかった。
あの瞬間の指先が冷えるような感覚を、紺野は今でも忘れられない。指先から、心臓まで冷えるような喪失感。

「…馬鹿だな、お前は」

ぼそりと、設楽が呟く。さっきまでとは違う、静かな声で。憐れむような、普段の彼なら「偽善だ」と嫌悪するような慈しみすら込めて。
だから、紺野は「そうかもね」と眉を下げて笑った。笑うしか、なかった。

(…鳥は、彼女じゃなく、僕なんだろうな)





「彼女」という籠に囚われた、愚かな鳥。











Thanks!! 50000Hit&2nd Anniversary!!






花山火竜さまからリクエスト、「琉夏当て馬…もとい、本命の玉緒先輩親友モード的なお話」でした。
えーっとまずアレですね…琉夏が全然出てこなくて設楽先輩ばっかり出てくるところから謝罪ですね。すみません…!
GS3発売前なので、もう完全なる捏造ですが親友モードは大好物なのでその辺りは楽しかったです。黒いっていうか若干ヤミーな方向ですねこれは…。
花山さんが色々と素敵な設定というか「こういう感じだと思います」っていうのを教えて下さったのですが、それを生かしきれなかった事がかなり悔やまれます…。あうぅ、力不足で申し訳ないです…!

こんなお話ですが、花山さまに。
リクエストありがとうございました!