恐れるな、決意すべきこの瞬間を!







「うー!さみぃなぁー…お?あかり、と志波?」


刺すような冷たい空気は、冬になったんだという事を自覚させる。こんなに寒いのに地球温暖化ってマジかと思ったりする。
そして、このクソ寒いっつうのに、中庭にある二つの人影。ああでも、あの二人でいるのをスルー出来るほど俺はバカでも鈍感でもない。

実は、俺と志波は「ニガコク」を結成する仲でありながら好敵手でもある。「何の」とかいう野暮な質問は却下だ、けど、相手に不足はねぇ。
つか、実のところコイツだけでなく他にも色々いるんだけど。


「あっ、ハリー!オッス!」
「…針谷か」
「何だその残念そうなツラは!俺が来ちゃ悪いかよ!……って、うおっ!な、なんだお前!」
「え?なぁに?」


俺を見つけて、笑いかけるあかりの顔――俺の好きな顔だ――を見て、俺はぎょっとなる。その瞳には透明な雫が溜まっていたからだ。
まさか、コイツに何かされたんじゃと、志波を見上げたが、どうもそんな風でもない。(まぁ志波はいつでもこんな顔だから実際わからない)
俺の大声にも、あかりは驚くどころか不思議そうに俺を見ている。それから、あぁと納得した風に頷いた。


「あ、違うの。コレ飲んでたから…あったまるかと思ったんだけど、ちょっと熱くって」
「か、『缶入りおしるこ』?こんなもん購買に売ってんだな」
「うん。熱いもの飲んだら涙出るでしょ?それでだよ」
「そーかぁ?ったく驚かせやがって…心配するだろ」
「何か言ったか、針谷」
「るせぇよ!お前に突っ込まれたかねぇ!」


何で志波に聞こえてあかりには聞こえねぇんだよ!たまに思うけど、ホントこいつの耳ってどうなってんだ?今も、俺の割と勇気を込めて言った一言にも全く気付かずに、暢気におしるこに息を吹きかけている。缶に書いてある「おしるこ」の文字が、何だかバカみたいな形と色で物悲しい。泣きたくなるセンスの無さだ。


「……うん、丁度いいあったかさになってきたよ。志波くんありがとうね!」
「は?なんで志波?」
「だって、志波くんが買ってくれたんだもん、コレ。でも、奢ってもらっちゃって悪いなぁ…今度絶対お礼するね!」
「気にするな、パン買うついでだ」


あかりは志波を見上げてにっこりと笑い掛ける。おーおー、鼻の下伸ばしてやがるぜ、このムッツリめが。なんだよ、おしるこくらい俺だって買ってやるっつうの。
世にも幸せそうな志波とにこにこしてるあかり(ただし、コイツには全くその気は無い。無いのだと信じたい)を見て、俺は心底面白くない。
でも、こんな嬉しそうな志波の顔って、あんま見れないか。そう思えば面白いか?


「…美味いか?」
「うん、美味しい」
「なんっか甘そうだなーソレ」
「そりゃ、おしるこだからね。…ちょっと飲んでみる?」
「え、ええっ!!」


ひょいと目の前に差し出された缶に、俺は激しく動揺した。だってソレ、お前さっき飲んだヤツだろ?口付けてたろ?
つまり、それって。


「あ、いらなかった?ハリー甘いもの苦手?」
「ち、ちが、そういう意味じゃなくてだな…その」


こいつは、本当にどうしてこう全然違う方向に勘違いするんだろう。ワザとか?ワザとなのか?
しかし、あまりの動揺に、ここで俺は間違いを一つ犯す。俺はここでバカ正直に慌てるのではなく、あくまであかりのペースに乗っかって缶を受け取るべきだった。
飲む飲まないの葛藤は後でするとしても、ここは缶の存在を確保しておくことが最優先事項だったってのに。

狂犬は、隙を逃さない。


「俺は欲しい、少しくれ」
「だああああ、志波!!てめぇ待てっ!ドサマギで何言ってんだ!!」
「何慌ててるんだ、針谷」


あかりの手からするりと缶を取り上げ、にやりと笑う志波。言外に『お前はいらないんだろ?』と目が語っている。もちろん皮肉だ。お前、何かキャラ変わってないか?こんなんだったか?
しまった、このままじゃ持ってかれると思ったところへ、ダメだしとばかりにあかりの能天気な声が響く。


「じゃあ、志波くんどうぞ」
「サンキュ」
「あーーーーーーーー!!!!」


志波は、それを一口飲んだ。動作が妙にゆっくりでムカつく。もちろん、がっつり飲み口に口を付けて。


「…ね、おいしいでしょ?」
「あぁ美味かった」
「美味かった、じゃねぇよ!!」


そりゃ、美味かった事だろうよ!嬉しそうな顔しやがって、やっぱ腹立つ。面白いなんてゼンゲンテッカイだ。それにしても、志波は後で「ニガコク」でシバくとして、あかりもあかりだ。間接キスだぞ?直接触れてないとしてもキスはキスなんだぞ?それをあっさり志波なんかに…あー言ってたら何か凹む。
だけど、俺のそんな感じて当然の怒りは、やっぱりあかりには通じないのだった。反省するどころか(もう遅いけど)、俺の方を見て怪訝そうな顔を向ける。
なんだよ、俺には笑顔はナシかよ。


「もう、さっきから何?さっきは要らなさそうだったのに」
「なんで俺が悪いみたいになってんだよ!」
「まぁいいや。……じゃあ、はいどうぞ」
「…え?」
「だから、先にハリーどうぞ」
「な……!」


差し出された缶を、俺はさっきとは全然違う意味で動揺しながら見詰めた。
いや、落ち付け。落ち着いて考えろ、俺。


これは、さっき志波が飲んだ(口付けた)もの。


俺が「飲まない」と言えばこれはあかりが飲むんだろう。それは、ダメだ。
でも、「飲む」と言えば、俺は志波の飲んだコレを飲まなければいけない。


そうすると志波と俺がかんせ…いやいやいやいやいやいや待て!!ないないない、絶対無い!!あってたまるか、そんなもん!!


………………とりあえず、落ち付け。落ち着こう、俺。(二度目)


これはあかりが飲んでいた「おしるこ」だが、志波が口を付けた時点で既にこれは志波のものだ。
だが、それを説明したとしてあかりにはわからないだろう。自分の飲みさしを、何も考えずに男にも簡単に渡すようなヤツだ。「どうしてダメなの?」とか言って首を傾げられるに決まってる。
それで済めばいいが、下手して「ハリー、志波くんの事キライなの?」とか言って余計なところで好感度を下げる事に成りかねない。しかもこの状況だと同時に志波の株を自動的に上げる事になり、それだけは絶対に避けなきゃならない。
「受け取らずに理由を説明する」は、却下だ。使えねぇ。
しかも、俺が飲まなくてもあかりは必ず飲むわけだから何の解決にもならない。二度もそんな事させられるかよ。


ならば、これを受け取って「飲む」か。


ここは、あかり並みに鈍感になって、気にしないフリをして飲む。一瞬ガマンすりゃいい話だ。しかも、その後さりげなく缶をあかりに返し、それをあかりが飲めば俺とも間接キスが成立するわけだ。
……だがその場合、俺の失うものが(説明できないが男として色々とアレなもの)あまりにもデカすぎる気がする。

ちらりと志波を見上げれば、相変わらず何考えてるかわからない顔をしていたが目が合うとにやりと口元を歪めやがった。コイツ、マジでムカつくんですけど。どっかですっ転んで足の小指でも骨折してくんねーかな。あーでも、それは野球に差し障るからマズイか。じゃあ間違って賞味期限切れのモノでも食って腹でも下しやがれ。それくらい願ったって釣りがくるだろう、俺の逃げられないこの状況は。


俺は、普段使わない頭をフル回転させて考えた。そして、俺が今取るべき行動を導き出した。

それは。

あかりから、缶を受け取り、一しきりソレを眺める。あずき色の缶に、毒々しいピンク色でアホみたいな文字で書かれた「おしるこ」の文字。この悪夢みたいな缶入りおしるこを、俺は二度と忘れない、いや、忘れちゃならない。

何故なら、尊い犠牲は後世の人間が憶えておかなければならないのだから。(と、どっかのエライおっさんが言ってた気がする)

決意を込めて缶を握る手に力をこめ、そのまま俺は大きく振りかぶった。


「……仕方がない。許せ、おしるこ!!!!」
「あぁーーーーっ!!!ちょっとハリー!!何するの!!!?」
「…………そう来たか」


俺は、おしるこの缶を備え付けのごみ箱めがけて投げた。缶はきれいな放物線を描いてデカイ金属音を立てて見事ごみ箱に吸い込まれる。
辛い選択だった……けれども、これで平穏は守られた。
やり遂げた充実感に浸る俺に、あかりは頬を膨らませた。バーカ、そんな顔したってカワイイだけなんだからな!俺には通じねぇ!


「ひどいよ、ハリー!!あれまだ半分くらい残ってたのに…っ」
「うるせぇ!あの場合こうするしか方法はねーだろ!諦めろ!!」
「言ってる意味がわかんないよ!!ハリーのバカ!!」
「海野、甘いものならまた俺が奢ってやる。放課後アナスタシア、どうだ?二人で」
「てんめぇぇぇぇぇええ!!誰のせいだと思ってんだ!ぜってぇ俺も付いて行ってやる!!全力で邪魔してやる!!」
「一緒に来たいなら初めからそう言えばいいのにハリー…」





守られた平穏がいつまで続くか、それは誰にもわからない。