海と春風、たまごサンド





あの日の事が、まだ夢みたいに思える。



「…瑛?まだいたの?時間、大丈夫なの?」
「え?そんな経ってたかな…ん、大丈夫。あー…ごめん。台所使ったまんまだけど」
「あら、片づけはどうぞ任せて、バリスタさん?」
「……るさいなぁ」

くすくすと笑う母親に俺はむくれるしかない。ああでも、こんな風にまるで「普通の家族」みたいに話せるようになったのっていつからだろう。
去年の冬。じいちゃんが「珊瑚礁」を閉め、俺は実家に戻った。あいつにも別れを告げた。
一度は手を離したけれど、結局俺は、忘れることなんて出来なかった。出来っこないんだ、初めから。でも、無理やり平気なフリをしようとした。
羽学の卒業式の日、俺は羽学に行った。行くしかなかった。それ以外の選択肢なんて、俺の中には無かった。
もちろん、そうするまでには色々あった。人生であれだけ必死になったのも初めてかもしれない。珊瑚礁の事もアイツの事も、俺は親にもじいちゃんにも全部話して(じいちゃんは薄々感づいていたみたいだけど)、食い下がった。今までも散々やりあってきた両親だ、そう簡単に納得してもらえない事はわかってた。でもそれでも、絶対に引けなかった。
最終的には両親の方が根負けした形で俺は羽学に行った。でも、不思議だけれど今までのケンカとは少し違った。それはたぶん、俺が本音を言ったからだった。

あいつにもう一度会いたい。その一心だったから。

学校中を走り回って探してもあいつはいなかった。後はもう半分は賭けみたいなものだ。あと半分は確信。あいつは、あいつならあの灯台にいるって、そう思った。
そしてそれは間違ってなかった。やっぱり、俺の人魚だったんだ。

そして今日。あの卒業式の日から、俺たちは初めて会う。
つまり、ちゃんと「両想い」で「恋人同士」のデートなわけだ。

(…の、はずなのに)

俺は、割と緊張してアイツに電話したというのに、出てきたあいつときたら相変わらずの薄ぼんやりなカピバラっぷりを発揮していた。普段と全く変わらない能天気な声が聞こえて、こけそうになった、俺は。
それはそれでいいんだけど(だってそういう所も好きだからいいんだけど)、何か俺ばっかりが意識しているようで腹が立つ。
これじゃ、前とあんまり変わらなくないか?変に意識してギクシャクされても困るけど。もうちょっと何かあるもんじゃないか?普通。

…と、ぶつぶつ言いつつもしっかりランチパックを用意してやったりする俺も大概進歩ないような気もする。
いいんだ、別に。あいつには、何でも作ってやりたいって思うのは本当なんだから。ああでもそれにしても…。

「…ねぇ瑛?」
「…あ?何?」
「さっきからぶつぶつ言ってるけど、時間、本当に大丈夫なの?」
「…げ!やば!」

壁にある時計に目をやり、俺は急いで、用意しかけのそれを詰め込む。待たせたりして、変なヤツに声でもかけられたら面倒だ。まぁ、控え目に言ってもあいつは結構…かわいい方だから。
違う、ノロケとかでは断じてないけれども。



急いだおかげで待ち合わせ時間には間に合った。あいつはまだ来ていない。待たせなくて良かったとほっとした気持ちと、ほんの少しだけがっかりしたような気持ちになる。
これでもし先にあいつがいたりしたら、それはそれで待たせて悪かったとか、俺が着かない間に何もなかったかと色々心配になったりするわけだけど。
でも、どっちにしても嬉しい…いや、まぁこれくらいは正直に言っても良いと思う。

「わっ!」
「ぉわっ!」

突然どんっと、背中が押されて、手にした荷物を取り落としそうになる。慌てて振りかえると「イタズラ大成功!」と言わんばかりに嬉しそうなあかりがいた。
ほっとしつつも、無駄に驚かされたことに少しむっとして、けれどもむず痒いみたいな嬉しさもあって。けれどもやり返さないのは癪なので、ぽこんとチョップしてやった。

「わっ!ちょっとおどかしただけなのに〜!相変わらず短気なんだから!」
「あのな、お前の行動が非常識すぎるんだよ。もし俺でなかったらどうするんだ」
「そんなことないもん。私、佐伯くんのこと、間違えたりしないよ?」
「…ほんっと、お前ってな」

やっぱり変わらない。何の前触れもなくこうやって爆弾投下してくるんだよこいつは。国宝級に鈍いくせに、こういう事を平気で言ってくるんだ。そうして俺の言葉なんて簡単に奪ってしまう。

「だって、後ろから見ても佐伯くんってばすっごくエラそうだもん。だからすぐわかるよ?」
「……ばか」

ぽこん、と俺はもう一度チョップをお見舞いする。俺の感動を返せ。



臨海公園は、休日の割にはそれほど人もいなかった。ここは海が近いから好きだし、遊覧船にも乗れるし、何より、あかりと初めて二人で来たところだ。こいつは憶えているか知らないけれど、俺は憶えている。
俺たちはついこの間高校を卒業して、同時に「気の良い友達」からも卒業したわけだけれど、いまいち実感がない。まぁさすがに「また明日も学校で」なんて気持ちにはならないけれど、それにしても何だか変な感じだ。

(まぁ…いいか)

一緒に歩いて、話して、笑いあって。他愛もないことばかりだけれど、何をしていてもあかりの表情は明るくて楽しそうだった。それを見れるだけでも幸せだなって思うから。
あの冬の日、別れを告げたその時のあかりの顔を、俺ははっきりと思い出せる。たぶん忘れてはだめだし、忘れることもできない。俺の気持ちのために傷つけた、なんて言うのはもしかしたら自己中心的な考え方なのかもしれないけれど、あの時のあかりの、頼りない、途方に暮れた表情は、やっぱり俺のせいだと思ってる。
傍にいられるだけで幸せ、だなんて絶対笑われるだろうな。
海に近いせいか、潮を含んだ風は少しだけ冷たい。まだ完全な春にはなりきれていないような空気だ。今の俺たちみたいに。

「ねぇ、佐伯くん」
「何だよ」
「お腹空いちゃった」
「…お前はコドモか」

呆れたように言ったものの、小腹が空いたのは俺も同じだったので適当に座る場所を探した。

「わー、わー!すごーい!美味しそうー!」
「当たり前。俺が作ったんだからな。…どれでもお好きなものからどうぞ?」
「わーい、頂きまーす!」

持ってきたランチパックを広げた途端、あかりの歓声が上がる。喜んでくれるだろうとは思っていたけれどここまで喜ばれるとつい口元が緩む。
一緒に「珊瑚礁」でバイトしていた頃を思い出した。メニューを考えるとき、俺はいつの間にかあかりの事を思い浮かべてそれを考えるようになった。あかりだったらどう思うかなとか、喜ぶかな、とか。
そういう意味では、俺はバリスタとしてはやっぱり未熟だった。不特定多数のお客様の事を考えるべきなのに、いつの間にか彼女を基準にしてしまうところがあったから。

「あっ、玉子サンドだ!」

アボガトとシュリンプ、生ハムとチーズ、トマトとツナマヨ…色々入れてきた中から、あかりは迷わずそれを選んだ。別にどうという事のない、普通の玉子サンド。

「でも意外。佐伯くんってこういうの作らないと思ってた」
「どうして?俺だって玉子サンドくらい作るし食べるよ」
「えーでも…何だかイメージないなぁ…」
「お前はそういうの好きそうだよな」

玉子サンドくらい、と言ったけれど、本当言うと特別に好きでもなんでもない。良く食べるわけでもない。ただ、今日入れてきたのはあかりが喜ぶかも、という一点でだ。その辺り、俺は読み間違えない自信が割とある。
あかりは一口食べて「おいしい」と言ってから、ふふっと笑った。

「うん、玉子サンド好きだよ。でも、佐伯くんの作ってくれるもので嫌いなものなんてないなぁ、私」
「そ、そっか…」
「うん!」

ほらまた。そうやって。そりゃ、俺はお前の嫌いなものなんて作らないけどさ。改めてそう言われると、何ていうか…。
落ち着かない感じを誤魔化す為に俺もサンドイッチに手を伸ばす。何だかな、両想いになったって、こういうのって変わらないのかもしれない。ちょっとした事でふわふわする感じ。嬉しくてどうしていいかわからなくなってしまう感じ。

「あかり、口元卵ついてるぞ?」
「えっ、うそ!どこ?どの辺?」
「ここ…あー、待て待て、今取ってやるから」

くい、と口唇のすぐ傍を親指で拭ってやる。実はそれを口実にキス…とか考えたけど(しかも結構時間をかけて)それは出来なかった。
いいんだ、別に。そんながっつかなくたって時間はあるし。何だか、そんな事ばっかり考えている男だとも思われたくないし。いやでも本当は割と考えているんだけど。

「佐伯くん、何ぶつぶつ言ってるの?」
「え?…俺、何か言ったか?」
「うん、時間がどうのこうのって…今日忙しかった?」
「ないない!き、気のせいだろ!何も言ってないって!」
「え?なんでそんな慌ててるの?」
「慌ててない!」

慌てて弁解しつつも、あかりの口元を拭ったこの親指をどうしようかと俺はさらに悩んでいた。…ホント、しっかりしろよ俺。
また風が吹く。春風と言うには冷たいそれは、いちいち舞い上がる俺を笑っているみたいだと思った。



「…送ってくれてありがとう」
「どういたしまして」

空はすっかり暗い。取り立てて何もなかったが、楽しかったには違いない。いや別に、期待なんてしてないけれど。

「大学始まるまでにまた会えるかなぁ」
「そりゃ…お前が会いたいんなら、俺は会うよ。俺も、会いたいし」

精いっぱいの勇気を振り絞ってそう告げると、あかりは花が開くみたいに笑った。あかりのほっぺたがいつもより赤いのは、たぶん見間違いなんかじゃないと思う。それは、少なくとも俺たちの気持ちは一緒なんだというのがわかって、嬉しかった。それだけで満足だ。あかりも俺に会いたいと思ってくれてるっていうのがちゃんとわかるっていうのは、凄く幸福な事だと思う。好きだと、想われるということ。

「…もうそろそろ家の中、入れよ?夜は冷えるしさ」
「うん…」

そう言って頷くものの、あかりは中々俺の手を離さなかった。そりゃあ俺だって離したくはないけれど(出来ればこのままどこかに連れ去ってしまいたいくらいだけれど)、それは出来ないのだし、いつまでもこうしているわけにもいかない。

「あっ…あのね」
「ん?」

きゅ、と、あかりの手に力が籠るのを感じる。俺よりは小さくて白くて、割ときれいな手。

「今日は言えなかったけど…つ、次からは言うね?」
「言うって、何を?」

あかりは一生懸命に、それこそ大切な告白をするみたいに顔を真っ赤にしていた。

「て、てる、くんって…」
「…へ?」
「瑛くんって、名前で呼んでも…いいよね?」
「…………」

ああもう、だからさ。そういうのはやっぱり反則だと思うわけ。
ダメだ。両想いになってもやっぱりしばらくこいつには振り回されそうだ。「あたりまえ」みたいなちょっとした事でも、やっぱりドキドキさせられるんだ、今みたいに。

「…このカピバラっ」
「いたっ、な、何でチョップ?ダメなの?」
「そんな事、今頃聞いてくるなんてな。…い、いいに決まってるだろ」
「ならどうしてチョップするの?ひどいよ!」
「うーるーさーい!お前がカピバラなのが悪いんだ!」





帰り道。もう夜なのもあってやっぱり風は冷たい。
でも、全然寒くなんてなかった。














Thanks!!1st anniversary!!





















まろさまからもう一つリクエスト。「瑛主で付き合って初めてのデートなお話」と頂きました。
へたれ瑛が最後にはむくわれる感じだと嬉しいですと頂いたのですが、む、むくわれてますか?どうですか?
いやぁ「むくわれない瑛」の方がまだ自信あるんだけどなぁ!(コラ)
前の志波主と出だしは一緒です。また勝手に母を…!
久しぶりのパラレルでない佐伯さんの話ちょこっと大変でした。それで出来たのがコレ…な、何てお詫びすればよいやら…!
タイトルも全然浮かばなくて、最後の手段、キーワードを並べてみました。最低だー!

こんなお話ですがリクエスト頂きましたまろさまは、どうぞ煮るなり焼くなりお好きにしてやってください。
リクエスト、ありがとうございました!!