graceful days
それを手にしたのは偶然だった。
その時手にしなければ、しばらくその存在を知ることもなかっただろう。
実際、引っ越し作業というのは思ったよりも大変だった。
大学の時、自分が学生寮に入った時とは比べ物にならない量の荷物だし、片付ける場所も寮の部屋よりはたくさんある。
二人で住むのだから当然と言えば当然なのだが。
女と男という差か、それとも単に性格の違いか、志波の荷物よりもあかりの荷物の方が多かった。彼女曰く「どうしても持って来たかったもの」というのだから志波にとっても大切な荷物である事には違いないが。
しかし、彼女の荷物の方が個数が多いのだから、自然彼女の荷物を片す手伝いをする事になる。
今、開けたのもその一つだった。中からは何やら細々したものがと色々入っていたが、ふと手にしたのは一冊のアルバム。
「あっ、それ!そっちに入ってたんだ!」
「…入ってたんだ、って、お前が入れたんだろ?」
「ごめんね志波くん、すっかり私の荷物のお手伝いになっちゃって…」
「…こぉら」
てへへ、と笑うあかりの額を、軽く小突いた。もちろん痛くない程度にほんの少し。
え?なぁに?と頭からハテナマークを飛ばすみたいなきょとんとした顔をするあかりに、志波は半分は冗談、半分は本気で顔を顰める。
「もう『志波くん』じゃないだろ?」
「……あ、そうでした」
「いい加減、訂正してる俺が恥ずかしいんだが」
「ご、ごめんごめん!あー、えっと!ちょ、ちょっと休憩しよっか!お茶淹れるね!」
慌てたみたいにキッチンに向かうあかりの背中を見て、まったくな、とため息を零しつつそれでも志波は小さく笑った。
こうしていちいち彼女に「志波くん」と呼ばれるのを訂正する日が来るなんて、高校時代の自分は少しでも考えただろうか。
別に、彼女にどう呼ばれようとも構わない(実際「しばくん」と呼ばれるのを割と気に入ってもいた)のだが、さすがに今となっては奇妙に違いない。
「志波」と名乗るのは自分だけでなく、彼女もなのだから。
「しば…じゃない。か、勝己くーん!お茶入ったよ!」
「あぁ、今行く」
新しい生活、新しい関係、新しい幸福。ここから全部始まるんだなと、入ったばかりの新居を眺めやり感慨深い気持ちになりながら、志波は声のした方に向かった。
手には、先ほど見つけたアルバムを持って。
「…懐かしいな」
「ね、ね!でしょ?私もしばらく仕舞ったまま見てなかったんだけど、荷物整理の時に見つけて、どうしても持ってきたくなって」
そのアルバムにあるのは高校時代の写真だった。二人が出会った、羽ヶ崎学園。
そこには、制服だったグレーのワンピースや、青色の夏服や、体操服や、クリスマスパーティの時もドレスや、とにかく色んな「海野あかり」が写りこんでいた。
今もさほど変わったとは思わないが、それでもこうして見ると高校時代の彼女はやはり幾分幼く見える。こちらを向いてふにゃりと笑う女の子。
ああ、そうだ。この子を好きになったんだ、と、口元が緩む。そしてこの女の子は、今、自分のすぐ隣にいるのだ、いつでも。
時折は一人で移っている写真もあるが、あかりは大抵は誰かと一緒に写っていた。そこには見知った顔もいる。西本、水島、針谷、クリス、若王子先生…他にもたくさん。
それと。
「あっ、これ見て!志波くんだよ!志波くんと初めて一緒に撮ったやつ」
「見ればわかる。…それと、また戻ってるぞ、呼び方」
「あ…、ご、ごめ」
「…結構あるもんだな。お前と一緒に撮ったのって」
一枚目はたぶん1年の時のクリスマスパーティだろう。そこにいる自分はいかにも居心地の悪そうな顔で写っていた。
周りにいる針谷や西本達に無理やり参加させられたのを思い出す。あの頃は、こういうのが苦手だった。
「し…勝己くんって、パーティの時もよくケーキ食べてたよね」
「そうだったか?よく憶えてねぇ」
「そうだよ。話しかけたらいっつもケーキの載ったお皿持ってたもの」
次を見ると体操服で二人して並んでいるのが目に入る。志波はともかく、あかりはあんぱんを掲げて満面の笑顔だ。
「これ体育祭だね」
「お前が大活躍した時だな…。パン食い競争」
「あんぱん半分こしたよね、懐かしいなぁ〜」
普段はおっとりしてるのに、あの時の活躍っぷりはちょっとびっくりしたよな、とは心の中だけで呟いた。「食い物がかかってる時のアイツは神がかってるよな」という針谷の言葉を思い出す。 あの時、ゴールしたあかりはいの一番に志波の方に駆け寄ってきて、あんぱんを半分くれたのだ。あんぱんも嬉しかったが、すぐに自分の所に来てくれたのが嬉しかった。
一枚ページを繰るごとに、あの時はこうだった、ああだったとあかりの嬉々とした説明が入った。それと同時に当時の風景が鮮やかに蘇る。
恐らくあかりは気付いていないだろうが、写真の中の時が進むごとに自分の表情が変わっている事が、志波にはわかる。
穏やかに、優しく。自分の事だ、その理由はいやというほどよくわかる。そうした変化を微笑ましいと思いつつもやはり気恥ずかしいものだと、あかりが淹れてくれた紅茶を一口飲んだ。
写真を見るのに夢中だったせいか、少しぬるくなっている。
カップに口を付けながらまたページを捲り…見つけた写真に思わずむせ返りそうになった。
「あっ、これ、演劇一緒に出たのだ!これね、友達が撮ってくれたんだよ?」
「そ、そうか…」
一緒に参加した学園演劇では、お互いに主役級の役で共演したのだ。何故そんな事になったのかは未だによくわからないが、とにかく良い思い出の一つには違いない。
写真には侍と姫の格好をした二人が写っていた。二人ともカメラの方は向いていない。お互いの方を向きあっている。二人とも真剣な顔つきだった。
「確か、最後のリハーサルの時のって言ってたかなぁ?凄く良い表情してるからって。えへへ、勝己くんカッコイイよね」
「……あぁ、その、何て言うか…」
(何て顔してんだ、俺)
自分でも気付かなかった。こんな表情をしていたなんて。こんな顔で…彼女の事を見ていたなんて。
我ながら「重症」だ。そういえば本番もつい気持ちが入ってしまって、本音が出かかった事を思い出した。
あの時、姫の衣装を着た彼女は、紛れもなく自分にとっての「姫」だった。役というより、本気でそう思っていた気がする。
「勝己くんみたいなお侍さんに守ってもらえるなんて、幸せなお姫様だなぁって思ってたんだよ、この時」
「…俺は、守りたいって思ってたぞ、お前の事」
「え…、え?役のお姫様じゃなくて?」
「ああ、お前だ。…それは今も、だけどな」
「そ、そっか…そう、だったんだ…」
ぼぼぼと、ほっぺたを赤くしつつ紅茶を啜るあかりを横目で見つつ、アルバムのページを捲っていく。3年目のクリスマスパーティ、スキー合宿…そして、卒業式。
どの写真もほぼ例外なくあかりは笑顔で写っていて、そこには時折自分やその他の友人たちが一緒に写っている。これで終わりかと最後のページを繰ると、そこには少し古めの茶封筒が挟んであった。 何となく、見たことがあるようなものだと思ったら、封筒の端には「羽ヶ崎学園」の文字が印字してある。
「何だこれ?学校の封筒…?」
「……っあ!ダメ!それはダメ!!」
突然慌てて始めて伸ばされたあかりの手を、志波は難なく避けてその茶封筒を手元に確保する。封筒には学校の名前の印刷以外に、「B−○○×1枚」という文字が何行も書いてあった。
それを見て思い出した。これは修学旅行の時の写真が入っていた封筒だ。学校側が撮ってくれた写真を、自分で選んで買えたはずだ。…自分自身はあまり興味がなかったので特別に買ったりはしなかったが。
それにしても手にしてみると随分とずっしり重量感がある。封筒に表書きされている枚数よりずっとたくさん入ってそうだ。
「そ、そこには大したの入ってないよ!み、見ても面白くないと思う…!」
「どんなのでも、俺は見たい」
「だ、だめ!志波くんはダメだったら!」
「…また言ったな?俺には見せられないような写真なのか?」
「ち、ちが、そうじゃないけど…そうとも言えるというか…わっ!待って待って!見ーなーいーでー!」
「新婚早々隠し事はないだろ。…開けるぞ」
あかりの余りの動揺っぷりにまさか他の男(あるいは知らない男)と映っている写真じゃないだろうなとほんの僅かだか疑念を持ったのも正直な気持ちだった。
だめ、やめて、と暴れるあかりを無視して、志波はさっさと封筒の中身を取り出した。
そして、「それら」を確認した瞬間、固まってしまった。
「……お前、これ」
「…だからダメって言ったのに…」
志波が取り出したものは、やはり写真だった。さっきまでと同じように高校時代のものだ。
ただ、それまでと違うのは、そこに写っているのはあかりでもなく、知らない男でもなく。
そこに写っているのは志波勝己だった。修学旅行、体育祭、野球部の試合、文化祭の演劇、何でもない普段の教室。
遠かったりぼやけたり、あるいは別の誰かも写りこんでいたり。とにかく色々だったが、そこにある写真全てに自分がいた。
何と言っていいかわからなくて、思わずあかりの方を見ると、耳まで真っ赤にした彼女が所在なさげに俯いている。
「…これ、お前が撮ったのか?」
「え、えと…。それもあるし、撮ってもらったのも、あるし」
「そうか」
「わわっ、何、し、か、勝己くん…!」
「かわいいな、お前」
「え、えっ、急にどうしたの?」
「ホント、かわいい」
ぎゅうぎゅうとあかりを抱きしめながら、もう一度自分の写ってるそれらを眺める。何も知らない自分。ああ、今すぐこの頃の自分に伝えられればいいのに。
あれほど想い焦がれていた彼女が、自分の事をこっそり写真に撮っていたなんて。
「けど、どうして隠そうとするんだ?俺の写真なのに」
「だって、か、勝己くんには黙って撮ってたわけだから、そういうの、気分悪いんじゃないかなぁって…」
「…物凄く今更な話だな」
「そ、そうだけど!」
「これからは…好きな時に好きなだけ撮ればいい」
「え?」
「正直、写真は苦手だが、お前だったらいい。いくらでも」
不意に顔を上げたあかりに掠めるようなキスをして、志波は笑った。
そのうち新しいアルバムを買いにいこう。これからの二人の為の。
Thanks!!1st anniversary!!
nicoさまからリクエスト。「新婚の志波くんとデイジーが、高校時代のアルバムを見ながら思い出話」と頂きました。
「当時のお互いの気持ちを語りあったりしてほしい」と頂いたのですが、何だか志波さんが一人でニヤニヤしている気がするのは気のせい!ということで。
それにしてもこのリクエストを頂いときに「萌えるなぁ」って思ったのと同時に、物凄くプレッシャーというか…どうしようかと思いました。
だってアルバム見ながら語り合うって、公式でされてますよね…!あの、あの方のお声で…!語っていらっしゃいますよね…!!
とはいえ、神であるオフィシャルさまに敵うわけもございませんので、まぁこんな二人もありだよねと…ほ、ほらこれは新婚さん設定だし!
「結婚したのに名字呼びが抜けない」という個人的萌えも詰め込んでみました。(余計なことを)
こんな話ですがリクエスト頂きましたnicoさまは、どうぞ煮るなり焼くなりお好きにしてやってください。
リクエスト、ありがとうございました!!
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